多忙な日々

 たまには日記的な記事を書いてみる。
さて、21年の12月に「自分にとっての自動車評論という仕事」という記事を書いた。自動車評論は儲からないという話。ネットのコメントでは「自動車評論家なんてメーカーから金もらってウハウハ」みたいなことが頻繁に書き込まれるので、そんなわけあるかいという現実を知らせておこうと思って書いたものだ。まあそうしたところでウハウハと書くヤツはいなくならないし、ある程度は有名税ということなのだろうけど、人間には感情がある以上、不愉快でないと言えば嘘になる。

業界の人からは「そこまで赤裸々にギャラの話を書かなくても」とも言われたけれども、世の中の誤解に対して説明もせずに理解せよと言ったって無理な話なので、誰かが言い出さないとこの業界全体がずっとこのままだ思って書いた。このギャラ水準ではいずれ書き手がいなくなる。業態がサステイナブルではない。編集側で高いと言っていた人が、離職した後そのギャラでフリーになれるかを考えて見ればいい。

背景としてはあの頃すでに「お前そういうことバラすならクビだ」とはもう言われないだろうし、万が一そう言ってくる媒体があれば、業務量過多でお断りしている媒体に掲載先を変えれば良いだろうという読みもあった。幸にして執筆依頼はたくさんある。口はばったいけれど、業界の改革に一肌脱ぐ力があるならやるべきだと思った。

嫌な言い方なのは承知だけれど、媒体と書き手の力関係で、書き手の方が強くなったから、赤裸々な話が書けたというのが本音で、逆に言えばそれ以前のボクにはそういう問題を世に問う実力がなかったということでもある。

持論と言っても良いのだが、この仕事は「潜在的失業者」みたいなもので、発注がなければそれで終わり。「お前じゃなくても誰でも良い」と思われたら、立場が下になる。そういう関係では、受発注に波風を立てる様なことを書けない。10年書いてきてその関係値がようやく変わってきたのだ。

あれから2年。その間に何をやってきたかと言えば、ギャラの交渉である。新規依頼の度に「もう3万円で書くのは嫌だ」と言い続け、それを超える提示があったところだけ仕事を受けてきた。現在一番高いところは9万円。次点が6万円、いずれも外税である。

新規はそういう交渉が成り立つけれど、既存媒体はどうにもならない。まあ業界の水準から言えば贅沢なのは理解している。現実的な相場としてはwebの記事で1本3万円も払われるケースは稀で、「3万円なんて破格のギャラは池田さんだけです」と言う媒体もある。そりゃ下手すれば1本数千円の人もおり、多くの実績あるプロが1万円とか2万円で書いている中で、3万円でも安いなんて書けば「なんであいつだけ3万円なんだ」というトラブルになるし、全ての書き手の原稿料を上げたらビジネスの枠組みがおかしくなりかねない。

もちろん書き手の自己評価と媒体の評価に食い違いがあるのは当然なので、そこには悲しいことも起こり得るのだけれど、良い原稿を書いてギャラ交渉するという基本は多分変わらない。その前例になれば良いと思ったのである。「お前自分の原稿を平然と良い原稿と言い放つのか」と言われるのは覚悟の上での話だけれど、そこはそうだと思わなければそもそもギャラ交渉なんてできない。「拙稿を掲載していただいて感謝いたします」では何も変えられない。

そういう意味では、本当に真面目に取材して記事を書いたら、コンスタントに書けるのは週に2本くらいなはずだ。取材に1日、調べごとと書きと校正に1日で2日はかかるからだ。ということは記事単価が3万円でも月の売り上げが24万円。内輪に取材経費がかかる。8回の取材にカーシェアでクルマを借りて、ガス代高速代などで1回1万円かかっていたら残る正味は16万円。それで食っていかれるはずもない。そうなれば取材に行かずコタツ記事になるのは当然で、記事のクオリティが落ちる。ギャラも経費もこっちの話、読者には全く関係ないから、結果としては記事の評判が落ちるだけでマイナスのスパイラルになる。

記事は商品なので、そこはクオリティを落としたら自分の評判が落ちる。そう思ってギャラに関係なく手間をかけてきたボクは、中小企業のパンフレットやチラシを作るバイトをして、マイナスを補って生きてきた。ギャラを上げてきたことでそれもやらなくて済む様になった。

それとこれは特技なのだけれど、ボクは原稿を書くのが早い。だから普通の人より量産が効く。ということでバイトを辞めてから本数を増やした。単価が上がって、本数も増やしたので、収入が増えた。それと講演の依頼も増えた。この調子なら遠からずクルマを買えるかもしれない(笑)。思い出すとひどい時には、試乗会に行く金がなくて、キャッシングで高利の金を借りて出かけていた。それも数年前の話なのだが、当時と比べると隔世の感がある。ただその分忙しい。

ずっと以前から、このnoteで有料の月額制マガジンをやりたいと思っていた。単価を安くすると批判を目的にネタ拾いにくるけしからんヤツが増えるので、月額1000円くらいにはしたい。外税で1100円かな。客層は大事だ。そのためには安くしてはいけない。ただ自分の中で月額1000円をいただくなら、週1本くらいは書かないと申しわけがない気がして、流石にそれだけのリソースをこれにつぎ込む覚悟ができずに踏ん切りがつかない。

有料マガジンということはクローズド記事なので、お金は稼げるかも知れないが、読者数は減る。意見は広まらない。広がらないものは残念ながら言論としての価値が低い。そこをどう考えるべきかがなかなか割り切れない。

考えてもみて欲しい。月額1000円で1000人の購入者がいれば売り上げは100万円。多分だけれど、1000人はそんなに難しくない気がするのである。クレジット決済の手数料とnoteの取り分を引いても月収として85万円くらいは残る。経済的にはもうそれだけあれば文句はない。経済合理性を考えれば、単価3万円の連載は即刻やめてでもこっちにシフトすべきである。週一や隔週の3万円では太刀打ちはできない。仮に1000人は希望的観測でやってみたら半分だったとしても40万円以上である。

が、しかし、この商売、儲けることが目的なら最初からやってない。それはお金の問題ではない。多くの人が知らない事実をより広く伝えたい。その想いが原動力である。だから儲かるのがわかっていてもクローズ環境にすることに二の足を踏んでいるのである。我ながらバカだと思う。目の前にぶら下がっている月収85万円を我慢して月収12万円の連載に記事を送る。そんなことをしているから金持ちにならないのだろう。

という中で最近の新しい悩みは、媒体のクローズ化が進んでいることだ。商業メディアに書くにも関わらず多くの人に届けられないのだとしたら、noteでも変わらない。そしていくらギャラを上げると言ったって、85万円/4週の単価21万円が払える媒体はない。媒体も商売で、懐かしのフリーミアムが大したビジネスにならなかった現実に直面した現在。有料の囲い込み記事でなんとかしなければならないことはわかる。けれどもそれをやるなら、別の問題が発生する。媒体の拡散力が極端に低下するのだ。にも関わらず同じギャラで記事を書く意味は書き手の側にはない。折衷案として書き手が自力の囲い込みで稼げる額の半分くらいはギャラを提示すべきではないか。

ということで、媒体と書き手のジレンマはだいぶ進行中である。でもこれ読んで月額マガジンを是非始めてくれという声があんまり増えるとプレッシャーが高まる。まあ全く声がかからなければそれはそれでショックだ。いずれにしても何かを変えないといけない感じはすごくする。とは言え1日は24時間でこればかりは変わらない。どうしたもんだろうねぇ。流石に隔週の2本で1000円はこちらが気持ち的に申し訳ないし、単価を下げると客層が下がって、それはそれで妙なコメントとかをもらってメンタルが厳しい。ということは生産性が落ちる。そういう堂々巡りなのだ。

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