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時をかけるテレビ「光れ!泥だんご」

放送がおわった。
控えめに言っても
反響がおおきい。

そもそも
この2001年のドキュメンタリーが
名作で、
保育者にとっては
見てほしい作品である。


番組の構成的に最後とわかっていても
「池上さん締めてるで…ほんまにでるんか?」
という娘

最後やってば
といいながら
左下の「番組リクエスト」の文字に冷や汗w
せかせかと磨き続ける手元のどろだんご。
泥団子磨きながらこの番組みてるの
私だけじゃなかろうか

この加用先生のドキュメンタリーが放送されたのは
2001年だから
大学の実習前のとき。

だからか、私もかみさんも実習で
無意識に「どろだんご」ばっかりしてる。
そして、かみさんのその時作ったどろだんごは
今も、大学の講義の時に22年前の団子として紹介している。

「聖和の時、何の授業で見たか覚えとるか?」
とかみさんにきいても
わからんと言う。けど、音楽や内容は覚えてた。
(高内さんやったかな?だれか同級生おしえて)

内容は今みても
子どもと関わる上で大切な要素がたくさんあり
何度見ても新鮮な発見と学びがある
たくさんの人に見てほしい。

最後に、池上さんたちが締められたあとに
加用文男先生は、
2022年に70歳で亡くなった

とのテロップがでた。
事業中に虎杖(イタドリ)食べてるシーンと共に。

その後のエピソードとして
海外のかたのYouTubeの映像と

私とうちの子どもたち、そしてうちの学生がうつってた。

もし
加用先生とお話しができたら
きっと
大人が効果や結果から逆算して「遊び」を提供する現代の遊びの習い事傾向になんといいはるだろう。
「難しく考えるな。遊びは遊びや」
というのかな



私個人としては、逆算はあってもいいとおもっている。
大人が効果を求める以上、
保護者にアプローチすることで
機会の入り口を生み出せる可能性が高いからだ。
しかし、その大人の意図や思いをいかに子どもには見せないようにするかは保育者のテクニックである。

意図が伝わった瞬間に
それは
やりたい自発的な「遊び」から
どこか、
やらされている「活動」になる。
そんなん冷めるやん。

私が今年から関わらせていただいている京都教育大の講義は
「保育内容環境の指導法」である。

遊びの環境やどのように指導するかを伝えるが
前で指導するというよりも、
遊んでいる子どもの横に座って寄り添う「支援者」でいたい。

遊びは子どもが自発的に行うもので
無理矢理与えるでもなく、
それしかない単品プレートに乗せて
食べろというわけでもなく、
自然な形で、
「自発的に夢中になれる多様な遊びを選択できる環境」と
「満足するまでやりきれる環境」をつくること
そして、
意図的に完璧に準備して与えるのではなく、
子ども自身が工夫し面白がれる余地を残しておくこと。これが
子どもと関わる大人の役目『環境構成』だと考える。

「自閉症だった私へ」という本を書いた
ドナ・ウィリアムズという方の言葉に
私が嫌いな人は、私の好きなことを取り上げる人
私が好きな人は、「あなたはこれも好きなんじゃない?」
と新しいことを教えてくれる人
という一説がある。

この言葉に従い
子どもたちが夢中になれる入り口をたくさん作りたい。
そのドアを開けるかどうかは子ども自身でいい

きっと、
全国の保育の現場には
私なんぞよりもっと素晴らしい
泥団子の実践者がたくさんおられます。

わたしももっともっと
研究し学びを深めていきたいとおもいます。



児童館は「遊びを通じた健全育成の場」であり
児童館職員(児童更生員)の専門性は
遊びと学びを結ぶことと考えています。
そのためには
だれよりも
おもろそうな背中を子どもにみせていたいし
きっと加用先生もだれよりも
子どもみたいでいつも「おもろそう」だったんかなとおもいます。

放送中ずっと娘たちが
「加用先生ってパパに似てる」
っていってくれたのが嬉しかった。

ディレクターの佐藤さんとの出会いで、
今一度
忘れかけていた
感覚を思い起こし、原点に戻れた気がします。
改めまして感謝もうしあげます。

放送はNHKプラスから
どうぞ



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