一般人が麻雀界に求めるもの。

 昨日の最強戦、オーラスの決着に様々な意見がSNS界隈をにぎわしている。詳細は近代麻雀黒木さんのnote「最強オーラス≪逆≫ 奈良判定の真相」を300円払ってでも読んでいただきたい。
私は麻雀プロでもなければどこかの雀荘のひも付きの常連でも、Twitterを始めとしたSNSで幅を利かせる人間でもない。その立場から、今回の件から見る一般人が麻雀界に求めるものについて触れたい。(故に、プロの呼称は全てサン付けで統一する) 間違ってほしくないのは誰の判断が良いとか悪いとかではない。

【今回の概要】


 オーラス終了時の聴牌宣言の有無により勝者が左右される河野さん。大差ではあったが、勝利のために親の難波さんが聴牌すると思っていた河野さんは次局自身の勝機を残すために手を崩さずに聴牌を維持したが難波さんは聴牌できずに流局した(親が聴牌の場合トップであろうと次局続行のルール)。親から順に聴牌宣言をするため、難波さんのノーテンを確認後、自身の聴牌宣言をするか迷い判断を周囲に仰いだもの。佐々木さんは明らかにノーテン、その場合は難波さんが優勝だが、もしも聴牌していたら奈良さんが優勝となる。当たり前だが100%はない。
 放送対局であり誰もが河野さんの聴牌を確認していることから、事務局から聴牌宣言をしてと伝えられ、聴牌宣言。結果的に難波さんが優勝した。

【正直どっちでもよかった】


 こと一般人から見ると聴牌を宣言しようがしまいが、どちらでもよかった。改めて気づかされるのはMリーグをはじめ露出度の増えてきた麻雀界に一般人が求めるのは「高い思考」「決断」なのだ。
 日吉さんをはじめ実況陣の腕もさることながら、力強く危険牌を押して前に進んでいく姿には幼心に戦隊もののヒーローへ夢を見た感情と同じものを抱く。一方で、どんなに手が良くても危険牌を絶対に切らない守備のカッコよさに気づいたのはMリーグが始まってからではないだろうか。だからこそ役満を降りる姿にも、大三元に取らずに小三元にとる姿にも、際てはあたり牌を止めて聴牌をとるだけの姿にもあこがれを抱くのである。
 仲間内のセット麻雀だけでなく、そこそこのレートになったフリー雀荘でも「役満だから」と前に突き進むことは散見される。最近では歌舞伎町を中心としたチップ比重の高い雀荘でもチップの数を理由に多く見受けられる。それはそれで一般人なりに「役満をあがった」という心理面も含めた費用対効果を考えた上でなので否定するものではない。そもそも失敗を金で解決できる世界なのだから楽なもんである。
 所作がきれいなことに越したことはない。しかし無茶苦茶なフォームから300ヤードのドライバーをかっ飛ばすチェ・ホソン好きだし、ドライバーを握らずにレイアップする選手の思考に感心させられる。我々が見たいのは決断を貫きとおす姿と、そこに至る思考にプロを感じ、自分日常を重ね合わせて明日への活力にするのだ。一般人が勝手にプロに求めることのひとつは間違いなくここにある。

【背負うものの大きさ】


 間違ってはいけないのは、決断を求めているからといって今回の河野さんの行動を否定しているわけではない。先にも述べたが失敗を金で解決できる世界ではないのである。それほどプロ雀士にとってひとつのタイトルは人生を変えるものであり、積み上げてきたからこそあの一瞬での苦悩は相当なものであったはず。多くの後輩を抱えているからこそ、敵ながらも難波さんも奈良さんも所属団体を超えた後輩なのだ。後輩の人生を変える決断を誰にも相談せずに公の場で一人で決める、私ならもっと時間がかかっていたし、冗談抜きで泣き出していたと思う。繰り返すようだが、どちらも後輩なのである。
 もうひとつ、冒頭にご案内した近代麻雀黒木さんのnoteを読んで河野さんがもうひとつ背負ったものに気づかされた。プロとしてこの聴牌は妥当なのか。難波さんが、ノーテンを宣言した時点で河野さんの勝機はなくなった。これは目無しの選手がオーラスに8,000点のあがりをするのと同じなのではないだろうか。一般人には触れることのない高い世界だ。計り知れない。ただふと頭をよぎったのは「安い金額を提示する代わりにシェアをもらうような営業をするのか」と後輩に指摘をする今の上司の言葉だった。
 私は業務能力はそこそこ高いはずだ、だが偉くなれていない。過去の上司との激しい軋轢もあったが業務能力に問題がないのであれば人間力以外は考えられない。大スキで入った会社だが「お前に会社の将来を担う人材は預けることができない」と言われているようだった。先ほどの上司の言葉も、同じ相談を受けた私から出ることはなかった。プロとしてのプライド、そんな業界でよいのかという視点が出てこなかった時点で、私にはまだ早いのだ。河野さんのもうひとつの肩に伸し掛かったものを見た気がした。

【最後に】

今回の対局のハイライトは間違いなくオーラスの聴牌宣言であった。3時間にもおよぶ野球の試合もホームランの瞬間は一瞬だ。あの一瞬にプロに求める高い思考と決断を見た。一夜明け、昨日も素晴らしい麻雀に出会ってしまったと満たされ、一般人の私の心は明日の業務に前向きに向かっている。高い思考にプロとしてのプライド、決断を貫き通す姿を誰かが見ていてくれ、子供を損害保険会社社員にしたいと考える人間が、当社社員にしたいと考える人間が一人でも出てくれないかと願うばかり。
 最近は麻雀バーやカフェも増えてきた。私は好んで足を運んでいるがだいたいいつも黙って座っている。もちろん女流プロは今も昔もみんなかわいい、その点でも明日への活力を養いに行っていることは否定しない。だが、本当は彼らの思考に触れたいのだ。できることなら、若いプロには私が歩んできた道が参考にならないかとも思う。私の思考はトッププロに比べてどうなのかを知りたい。私は残念ながら一流ではない、しかし水泳という競技、そしてサラリーマンとして一流に触れてきた時間は長い。一流になる哲学に競技の差はないのだと改めて感じた夜だった。


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