苦汁のなめかた

シンデレラファイト敗者復活戦の出場者が決定した。結果的に謎に包まれた主催者ポイントの内容は明かされることなく、配点だけが発表される形となった。結果だけを見るとTwitterを中心とした批判を引き起こすに十分な結果となったのは事実である。

なぜ

世の中を見渡せばよくあること

 一方で世間の反応をよそに、麻雀業界ではしばしみられる光景のようだ。たとえそうでなくても、社会には同じような事象であふれている。会社における出世、部活のレギュラー争い、芸術・文学・音楽 等、最後まで選考・評価基準や理由を明かされないまま結果だけが通知されることなど、少なくはないのだ。私たちはその結果を聞き、一喜一憂するのである。
 個人的な話になるが、私はこの見えない評価基準に適応するのに時間がかった。大学まで水泳を続け、社会人でも試合に出ていた。水泳というものは実に分かりやすい。どんなに泳ぎ方が下手でも、どんなに性格がひん曲がっていても全員に平等に与えられた100分の1秒に刻まれた時間の中で速い記録を出した方が優れている、同レースに出ていれば先着したほうが勝ちなのである。会社の評価を受けるたび、社内で意見がぶつかるたび、世の中が100分の1秒で区切られたモノサシですべてを測ることができたらどんなに楽か、心の底から叫びながら酒に溺れた。水泳を続けてきても溺れるものがあることに、恋に溺れるより先に気づいたのかもしれない。

評価者が求めているものは何か

 負けた時に大事なのは、負けっぱなしにしないこと。なぜ負けたのか。「早期敗退だったのでStage通過ポイントが低かったから」「Twitter投票数がもっとあれば」など、理由は様々であろう。しかしながら今回は自身の努力で改善できるものを一旦おいておき、主催者ポイントに着目したい。
 今回注目したいのは上位5名にしかつかない主催者ポイントが、ちゃんと総合順位7位までのプロについていることである。最後の最後で敗退した西川Pに0P、Twitter投票2位の篠原Pも0Pであったため、シンデレラファイト期間中の結果や話題性だけではなさそうだ。しかしランク外の選手にこのポイントが振られていないこともTwitter界隈をにぎわせてしまっている要因の一つのようだ。
 例えば一部の批判のとおり事務局サイドが一定の選手に忖度を測ったのだとしたら、ここはきちんと分析をして次に活かさなければならない。納得いかないと言うだけではまた次も同じ理由で負ける今回主催者が何を求め、その求められる内容はシンデレラファイトだけのものなのか。恐らく、それは違うのではないか。商業的な興行である以上、主催者が求めるものに合致する人間にチャンスを与えること自体、それほど間違っているものではない。それを黙らせるパフォーマンスを実力(Stage通過ポイント)でも、集客性(Twitter投票数)でも発揮することができなかったのだ。その点では麻雀プロであろうがなかろうが、今回参加した方以外も次は我が身だということを自覚しなければならない。
 間違っていてもいい、だれかに聞いてもよい。この類の話はどこまでいっても真実は明かされない、聞いた話が事実かの検証ができない。しかし考えて次に活かすことが大事なのだ。それでもまた負けるかもしれない、でもまた次の答えを出して進めばよい。

あなたのシンデレラストーリーは終わったのか? 

 数名の敗退者のTwitterでは「私のシンデレラファイトはここで終わり」と報告をしている。全員の戦いを望むファンがいる以上、残念だが事実である。しかし、この場に出てきた時点で皆、シンデレラであった。今日ここで脱落したあなたの後ろには、この場に立ちたくても立てなかった多くのシンデレラ候補がいたのだ。諦めなければこの敗退すらも自分自身のシンデレラストーリーの大事な1場面となるのである。
 捕捉になるがタイトルにある「苦汁」だが、辞書で調べると「にがり」とも読み、味は苦いが大変栄養があるようだ。月並みであるが、この敗退で学ぶことも多かったのではないだろうか、これは決して負け惜しみではない。遠回りしないと見えてこないものもある。大切なのはまた立ち上がること、そして次に後輩がおなじ状況に陥った時にどのような言葉をかけてやるかだ。どちらも敗退の経験を持つ者にしかできないことなのだ。必ず負けたことが財産になる日が来る。


最後に

 今回主催者が求めているものがあるとして、それが足りなかった故に敗退したのであれば、それを補うのは一朝一夕の努力では到底賄うことができない。気の遠くなる努力が必要なのかもしれない。ただ忘れてはならないのはいま自分が当たり前のように立っている立場にさえ立てていない人間がたくさんおり、その座を狙っている。人と競っている時点で「代えの利かない存在」ではないのである。油断すれば奪われる、これも世を見渡せば溢れかえっている光景だ。
 ただ、敗者は知っている。負ければ負けるほど、勝つための理想は高くなっていくことを。同時に勝った時に負けた人間の想いも背負って戦うのであろう。これも唯一敗北から学べる哲学だ。

人生、最後に笑っていられるなら1度や2度の敗退など大きな問題ではない。泣けるだけ泣いたら、立ち上がろう。もう次は始まっている。


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