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21_21 クロストーク vol.7 展覧会ディレクターズバトン「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」×「ゴミうんち展」
Introduction
2024年7月21日(日)に開催された、21_21 クロストーク vol.7 展覧会ディレクターズバトン「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」×「ゴミうんち展」の記録。
一言で振り返るなれば、竹村眞一さんと山中俊治さんのそれぞれの魅力に惹きこまれるトークイベントであった。竹村さんが持つ、文化人類学者としてのスケール・ものさしのダイナミズム。山中さんから溢れ出る、子供心・好奇心を忘れない無邪気さ。
※イベント詳細は以下。
デザインを通じてさまざまなものごとについてともに考え、私たちの文化とその未来のビジョンを共有し発信していくイベントシリーズ、21_21 クロストーク。第7回目は、21_21 DESIGN SIGHTで現在開催中の企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」展覧会ディレクターの山中俊治と2024年9月27日から始まる企画展「ゴミうんち展」展覧会ディレクターの佐藤 卓と竹村眞一によるクロストークを開催します。モデレーターは企画展「未来のかけら: 科学とデザインの実験室」のテキスト/企画協力、および企画展「ゴミうんち展」の企画協力を務める、デザインライターの角尾 舞。それぞれの展覧会に対する思いとそこから拡がるデザインの可能性に迫ります。
「未来のかけら」展
前半は、開催中の「未来のかけら」展について。
動いたり触れたりする展示物が多いなかで、毎日何かしらが壊れて、Slackの通知を見るのが怖い、と山中さんが冗談めかして嘆く。nomena+郡司芽久さんの骨格模型からの展示からの連想で、竹村さんから愛犬とのエピソードが語られる。展覧会のメッセージが強度をもって増幅された、という振り返りの表現が美しい。
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(引用元:https://www.2121designsight.jp/program/future_elements/exhibits.html)
重ねて投げかけられる、竹村さんの問いがまた鋭い。相手の高さを知るためには自分も高みに登る必要がある、という導入を介して、A-POC ABLE ISSEY MIYAKE+Nature Architectsの展示を念頭に、たとえば折り紙と生物との関係性を考えるなかでは何が見えてきたのかを山中さんに質問する。研究者のモチベーションは数学の応用にあるのでは、という山中さんの切り出しから、フラクタルや巻貝に通ずる成長の時間軸や、一枚の布からジャケットをつくる行為と一つの受精卵から生命が生み出される営為の相似形にまで話が及ぶ。はたまた、たとえば種を買って車を育てるような未来はありえるのだろうか、という竹村さんの問いを立てる想像力に脱帽する。
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(引用元:https://www.2121designsight.jp/program/future_elements/exhibits.html)
30分ほど経った段階で、ゴミうんち展の話に移行してもよいのでは、とモデレーターの角尾さんからの振り出しがあったが、まだまだ話し足りないとばかりに驚いてみせる竹村さんの表情もまたチャーミング。ここからの展開は怒濤で、新鮮な発想のシャワーを浴びせ続けられたような体感があった。
自然界は意外とシンプルな法則で成り立っているのではという話。言語もシンプルな法則から成り立っており、人間の言語は、限られた波長で多重的な意味を伝えられる。弓矢ではなく言語という飛び道具の利用こそが、人間性1.0と言えるのではという指摘があったと思う。DNAすらもたった4文字で構成されているシンプルさがある。
また、生命は誤りの制御と許容のバランスのなかにあるという論。オワコンと言われる器官も不要にはならない。たとえば、DNAのうちわずか2%のトレジャーDNAに対して、残り98%のジャンクDNAと呼ばれ不要と思われていた部位にこそ、新たな働きが発見されたりする。
"未来"よりも"未開"が大事である。いまだサピエンスの歴史は始まっておらず、現在はサピエンス前史(「全史」ではなく)であって、むしろ本史はこれからであり、本番を迎える前にサピエンスがポシャってたまるか、と語る竹村さんの熱さに胸を打たれる。これから先の"未来"の宇宙開発において、たとえば地球以外の星での生活を考える場合、むしろ現代では役に立たないと思われている、昔の地球に生きた"未開"の生物に宿る知恵こそが必要になるのでは、という発想にもまた舌を巻く。
ゴミうんち展
ゴミうんち展の紹介を経て、これまでのパートとも重なるテーマが、引き続き速度を増して展開される。
ゴミやうんちは"未開"そのものであり、現代では、江戸の百万都市でアップサイクルしていた実績からも後退しているのではという指摘。ゴミやうんちに対して、現代では言わば"社会の腸管"を通した処分しかできていないことは未熟なのではないか。Cradle to Cradle(ゆりかごからゆりかごまで)やpooploopの発想で、循環型社会を目指せないか。バックミンスター・フラーが「都市鉱山」というキーワードを50年前から提唱していたと言われることを受け、半世紀分の宿題を半歩でも進める展示にしたい、という竹村さんの思いが語られる。
自然界にはもともとゴミもうんちもない。人間のうんちも、Brown Gem(茶色の宝石)と捉えられないか。石炭も、かつては樹木の鉄筋コンクリートにあたるセルロースがゴミとして残ったものであった。酸素ももとは有毒な廃棄物であった。地球の歴史においても、いくつものイノベーションが重ねられており、今後、さらに地球のサーキュラーエコノミーのOSを更新できないか——。
竹村さんが過去にコンセプト・スーパーバイザーを務めた「water」展にも話が及ぶ。水分子における酸素原子と水素原子の104度の関係性や、水素結合によって水滴が丸くなる事象。その結合のおかげで100度に到達しないと雲散霧消しないために、地球は安定した気候である。むしろ地球そのものが一つの水球であり、ありがたい液体で満たされている。そんな話から、竹村さんが持つ、分子レベルから地球大までのスケールを一気に移動するこの感覚に鳥肌が立った。
デザインとは世界の見方の変革であり、water展は水から世界を捉えなおす試みだったと竹村さんは振り返る。当たり前の奥にあるすごいことに対して、デザインで理解を深められないか。そのリテラシーを高めたいという動機が根底にあると語る。
ゴミやうんちを分解する微生物のようなエッセンシャルワーカーも、自分の工程を終えると、次の生物にバトンを渡すしかないという。社会も同じで、足の速い旅人のような頭のいい人だけなく、遅さも必要であり、むしろいろんな遅さがあるほうが強い社会なのではと唱える。
「1億年前のドローン革命」という話が興味深い。これはつまり、ミツバチのホバリング技術のことを指す。当時、植物がミツバチに花粉を運んでもらうために花というヘリポートを用意するようになり、しかし、花粉を食べられると困るので、植物はミツバチのお腹を膨れさせるためのデザートとしての蜜をつくったという。このとき、ミツバチのほうもドローンのようにホバリングするようになり、その技術によって世界が花で満たされ、美しさの繁栄に寄与したと言える。翻って現代の人間によるドローン革命も、それに匹敵するかが問われているのでは。地球規模で捉えることで、本当の意味での美しさを鏡にしてプロダクトを設計するセンスと知性のアップデートが必要なのではないか、という指摘。
ゴミの扱いにおいて、日本はユニークな位置にあるという提起。針供養や包丁塚など、道具を大事にする文化は独特である。貝塚もただのゴミ箱ではない。はたまた、金継ぎも付加価値をつける行為である。
イベントの終盤、現場の情報量の多さはデザインの宝庫である、という竹村さんの言葉があった。これはまさに、現場に身を置く文化人類学者であるからこそ、より重視する観点なのだと思う。一つ、このイベントに現場で参加したからこその気づきを記しておきたい。
佐藤さんがゴミうんち展の説明をしている間、スクリーンに投影されたポスターを見て、山中さんが手元のメモに何かのスケッチをはじめる(白のLAMYだっただろうか)。山中さんの隣に座る角尾さんが、訝しげにそれを覗き込む。イベントの後段で、山中さんがおもむろに、ポスターに描かれるこの三重の同心円は、横から見ると巻かれたうんちの形をしているのか、と問いかける。つまり山中さんは、ポスターを3D化したうんちをスケッチしていたのであり、うっかり描かずにはいられない山中さんの遊び心にもまた魅力を感じた。
ちなみに、このアイコンは、実際にうんちの形を模すると同時に、サーキュラーやpooploopをイメージした、循環の意味合いも盛り込まれているとのこと。
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できれば竹村さんの付箋に書き込まれたメモもぜひ見てみたかったので、訊いてみればよかった。勢いよく書き込まれた文字は、きっとトークのなかで竹村さんの脳裏に瞬時に浮かんだアイデアであり、その内容が非常に気になる。そもそも二人のメモのスタイルの違いも興味深い
Closing
このトークイベントで語られた多様な要素が、次回の「ゴミうんち」展ではどのような展示に落とし込まれるのか、いまから楽しみで仕方がない。
また、「未来のかけら」展も、もちろん非常に面白い展示であった。個人的には、山中研究室最終展示の「未来の原画」展にも訪れていたが、さらに拡張・パワーアップされた展示体験として、より多くの人にその取り組みが届くとよいと感じる。特に、9/8までの会期延長に伴って、夏休み中の子ども・学生たちが多く訪れるとよいと思う。
足を組み、顔の前で両手の指をあわせてクールに振る舞う竹村さんも、終始にこやかで楽しそうに話す山中さんも、いずれも魅力に溢れていて、もし自分が学生の頃に二人のような素敵な大人と出会うことができていたら、と感じずにはいられない時間となった。