【論文レビュー】コロナ禍の「自粛」とは何だったのか?

こんにちは。NAOです。
前回レビューした酒井論文の参考文献に挙げられていた論文のレビューです。

参考論文:

伊藤 昌亮, 自粛の社会史, マス・コミュニケーション研究, 2021, 98 巻, p. 51-65, 公開日 2021/05/18

わかったこと

・「自粛」が求められるタイミングは、戦前から現在までいくつかあった。(戦時体制、昭和天皇崩御、オイルショック、東日本大震災など)
・「自粛」はコロナ禍に特異の行動様式ではなく、たびたび日本社会に訪れるものであった。

コメント

・本論文を読むきっかけは、前回レビューした酒井論文であるが、その酒井論文を読んだきっかけは「新聞の報道研究はどのようなものか」という自身の問いである。
・本論文では、新聞記事の内容が積極的に参照されているというよりも、「自粛」が日本社会でどのように扱われてきたのかを見る「道具」として、用いられているように思った。内容よりも、「自粛」が見出しに含む記事の推移から、どの時期に日本社会に「自粛」があったかを見つけることに焦点が当たっているように思う。

番外:コロナ禍の「自粛」とは何だったのか。

自粛という行動が成立するのは,支配関係が明示的なかたちを取って
おらず,暗黙的なものでありながら,しかし強固な場合だろう

伊藤 2021:p.57

「自粛」とはきわめて自律した行為である一方、それを行う人々は「権力」構造の中にいます。コロナ禍の「自粛」は「自粛を要請する」といういまいちよくわからない文脈で用いられていました。わかるんだけど、わからない、そんな感想を当時持っていたのを思い出します。
権力を持つ側が、その力を行使しているように見え、その最終的な責任を負っていないという非対称な構造が、「自粛を要請する」という言葉に表れているのではないでしょうか。

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