布教とは勇気と根性
布教の家に来た当初、30人をおぢばに連れて帰りたいと口にしていた。しかし、5月になった現在でも1人もおぢばにお連れしていない。本当に甘く見積もっていたなと、過去の自分を振り返っている。
でも、大きい目標をもつことは悪いことではない。それがないのとあるのとでも天と地ほど結果は変わってくる。別にたくさんの人数で帰参したからといってすごいわけではないし、数で信仰は測れない。ただ、ここで数を出すために努力することが今後の人生を左右するとは思う。
また、真実を神は受け取るというので、とにかくぼくの真実を捧げたい。
まず、これからぼくがすべきことはお話しやおさづけをさせてもらえたところに、片っ端から通うことだと思っている。正直、いい感触を示してくださった方の迷惑になるようなことはしたくない。というよりも、そういう人たちに自分のことを悪く思われたくないというのが本音だ。
でも、それではこの道を広めることはできない。はじめは少し嫌な顔をされても気づかない
ふりをして、帰るときにはまたきてねと言っていただく。そう思っていかないと、心が折れてインターフォンを押せない。
布教の家には数々の色紙が飾られている。その一枚に、
「布教の一念 どこまでも 勇気と根性」
と書かれている。
本当ににをいがけ、おたすけはそれに尽きるなと自分を奮い立たせている。
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