6月になるということで
もう5月が終わってしまう。この1ヶ月を振り返って思うことは、4月よりも時間の流れを早く感じるようになったということ。
にをいがけに慣れてきて、日々の生活リズムもだんだん固まってきたのが大きな要因だろう。
6月を目前に控え、あと10ヶ月の間にどんなご守護がいただけるだろうか。
別席者はできるのだろうか。何人の方をおぢばに連れて帰ることができるだろうか。命をかけておたすけさせてもらう人と出会えるだろうか。
時間の進む速さに不安ばかりが募ってしまう。
月末になると翌月の全体の心定めを決め、また、個人的な目標を書いてお社の横に掲げる。6月の心定めも5月と同じく訪問件数にした。
まだまだ通い先は少ないし、おたすけ先と呼べるところも少ない。もっと歩いて多くの人と出会わなければ、7月以降おぢば帰参や初席者ということにつながってこない。
個人的な目標も、おぢば帰参できるよう神様に働いていただきたいとの思いから、理づくりを徹底する内容を書き込んだ。
具体的なことは言えないが、かなり高目に設定した。ひのきしんやおつとめ、にをいがけ、全てにおいてやりきろうと思っている。
ありがたいことに6月におぢばへ帰参させていただくことが決まったのだが、これは奇跡的な神様からのご守護だった。
駅でチラシ配りをしていると、あちらから声をかけてくださった。そこから話がとんとん進み、その日出会ったうちにおぢばへの帰参を決意してくださった。
まさかの展開に、神様がなさることがぼくの想像のなかに収まるはずがないということを気付かされた。
できること、やれるだけやっていれば後は神様の思うがまま。不安や焦りは必要ない。
個人目標を高く設定したのも自分の器を大きくするため。
この1年間で目標にしていることは、正直自分の身の丈に合わない大きさだと思う。それをなんとか神様に働いていただいて、叶えていきたい。
なれば、理づくりにおいてもこれでもかというくらいさせていただいて、自分の器を広げていく。
その広げようとした心に、神様は思いもよらぬご守護をくださるのかなと都合よく考えている。
でも、心通りのご守護と聞かせてもらうからには、思わなければ与えられないと思う。