『みんなの日本語』派が手放したくないもの(2)
別に派閥争いをしているわけではないので「派」を使いたくないのですが、短く表すために、便宜上使いました。
認定日本語教育機関の話を聞いたとき、学校がどの教科書を使うことになってもかまわないけど、学習者の環境にあっていないのに、can-doを考えるのが面倒だからあらかじめ記載がある教科書にしよう、みたいな決め方になったら嫌だな、とは思っていました。
ところが、『みんなの日本語』のまま、対応しようとしているところも多いと聞きました。そうなると、逆に、え?面倒なのにどうして?と思ってしまいました。「これまでのノウハウを簡単に手放すことはない」というある方のメッセージ。それは何?文法?いや、その方がそんなことをおっしゃるはずがありません。私の中で保留事項になりました。
そこでふと気づいたのが「ネタ」です。
いやいや、やっぱり文法を教えたいのでしょう。だから『みんなの日本語』がいいというに決まっている、その考えももっともだと思います。実際、文法を文法のまま教えてらっしゃるところも多いでしょうし、導入して変換練習して応用して、というのが『みんなの日本語』の教え方だと信じてらっしゃる経験者の方も多いでしょう。ですから、それは否定しません。
でも、逆に文法をやりたいのなら、どんな教科書でもできるのです。実際、いろんな教科書で文法プリントが作成されていると思います。教師側が言語知識を教えることこそ日本語上達への道というスタンスなら何を使ってもそうなります。
そうではなく、「またイチから学習者の嗜好をさぐるのか」という不安が教科書を変えたがらない原因のような気がします。
本当は今は探らなくても、そのままの素材でできているものがあるので、不安は無用な場合も多く、そういうところは変えたほうが効果があると思います。行動中心アプローチの行動目標が学習者の目標と合致しているとか、マスターテキストアプローチのマスターテキストがそのまま学習者に応用できるとかなら、絶対にそっちのほうがいいと思います。(行動中心アプローチもマスターテキストアプローチも全く否定していません。むしろそれは推進されて当然の教授法)
でも、実はそうではない現場も多い。そうすると、そこは、とにかく、どんな使い方をしても、とりあえず、文法と語彙がならんでいて、勉強した気分になれる教科書を使うほうが楽、という選択肢も仕方がない。
何を教えるかは教師側が持っていなければならないと思うんです。
本当は29課で自動詞・他動詞が使えるようにならなくてもよくて、35課で条件形をするときに「ドアがあかないんですが」という言い方は29課で見たことあるはずだから、詳しくしなくてもいいなとか、もう一回練習したほうがいいなとかの目安にしたり、「困ったこと」について話すときに「ドアが開かなくて困りました」を「開けなくて、ではないか」と質問がきて慌てる、みたいなことが避けられるというだけの話
文法に固執しないからこそ、文型シラバスの教科書のほうが、私のような者には、やりやすいのかもしれません。
だから、もう、本当に、心から、
改訂してほしい!文型を整理して、語彙や文や練習Cを新しくして、会話の場面を変えてほしい。
売れなければならない市販の教科書、今さら難しいかもしれませんが、今のままであと10年使うのは難しいと思います。何かいい方法がないか、思案のしどころだと思います。