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離島で感じた福祉のミライ

この前、福祉という言葉について調べてみた。福祉の語源はしあわせらしい。。。なんか、違和感。。。。

「しあわせって何だろう」って考える。

「仲間がいて家族がいて、みんなから必要とされ、みんなを必要とする」しあわせって、必要として、必要とされて、一緒の時間を過ごし、認め合い…こんなことじゃないかと私は思う。

福祉の代表格、特別養護老人ホーム・就労支援施設A型B型、これらの施設の入所者は誰かから必要とされているのだろうか。入ることがしあわせなんだろうか。保護されて生活する。皆から助けられて生活する。ここにしあわせはあるんだろうか。もっと、ふつうに生きるすべはないんだろうか。

この前、ある離島に旅したとき、民宿の前で突然50代のおじさんから話しかけられた。「ねえ、釣りだったら今はアジだよ」「竿貸すからやって来なよ」突然しゃべりかけられ面食らった。そうしたら、民宿のお兄さんが「この人たちは違う釣りだよ」「あとで俺たちとアジ釣り行こ」とフォローを入れてくれた。「うん、わかった!」という屈託のないおじさんの返事に、集落の中でのおじさんの立ち位置を悟った。

2時間後、港の堤防の上で私たちがイカ釣りしている隣で、民宿のお兄さんとそのむすめさん、さらには島の若者たちと一緒に釣りをするおじさんの姿があった。私たちにも色々話してくれて、おじさんが堤防を一つのコミュニティにしてくれた。

おじさんの立ち位置を都市の感覚で判断した自分がちょっと恥ずかしかった。旅を楽しくしてくれたおじさんに感謝すると共に、豊かな田舎の人間関係に感動した。

都会であれば知的障害者の就労支援施設に入るか、引きこもるかしか道がないように見えるそのおじさん。この離島では役割があって皆から必要とされ、幸せに暮らしている。

子供から老人まで、男も女も皆が支え合って暮らすこの島の生活をみて、未来の福祉のあり方のヒントをもらった気がした。