コーポレートベンチャーキャピタルは曠野を目指す?
今回は村瀬功(Zak Murase)さんがフォーブスジャパンに書かれた好記事に乗っかります。
自分は大昔ビジネススクールに在籍していた時に当時の派遣元からの指示でコーポレートベンチャーキャピタル(CVC) 設立について調査した時、自分の勤務していたスタートアップが某米国企業のCVCからの出資を受けた時、10年少し前には某日本政府機関からの孫請コンサルタントけとしてCVCの成功要因についてのレポート執筆に寄与した際、そしてその後幾度となくVCへのLP出資やらCVC設立につき意見を求められた時、と長年「付かず離れず」的な関わりがあったのですが、この記事はその過程で見聞きし実感したことを的確にまとめています。
医薬品業界だと「自社の販売網に取り込める新薬候補を持つスタートアップにCVCが出資し、開発が進むにつれ共同開発・ライセンスイン・会社ごと買収などを可能にする(リアル)オプションを作り出す」という「社外R&Dの先買権」モデルは機能するし成果も上がっています。近年ではそれを更に推し進めて大手製薬企業が外部VCと組んで「自分が将来買収するかもしれないスタートアップを創業する」などというモデルも登場しています。もっともこれらは「CVC」という器を使わずとも自社のR&D予算からの経費型の出資、またはバランスシートに載せる資産型の出資でも可能なわけですが。
この記事を読んで、創薬業界以外だとCVCの「投資収益と自社のイノベーション・事業価値の持続的成長」というある意味二律背反的でもある二重命題を綺麗に解消するような決定的・持続的モデルは(大本営発表的なPRに惑わされなければ)まだまだ成立していない、と言うことかもしれません。
ここでついでにCVCについて自分なりの意見(偏見・ぼやき)を挙げれば:
①トップクラスの純投資VCのディールフローに乗っからないと世の中の趨勢や有望な投資対象には巡り会えないし、起業を取り巻くお金と人の流れの中に定着はできないけれども、そのディールフローはあくまでも「投資リターンの最大化・VC報酬の最大化」からの視点であるので、乗っかりつつもトップVCには魅力ないけど自社には魅力的な投資先・買収先を発掘するといった「落ち穂拾い」的な地道な努力が必要。
②CVCに雇う人の報酬を純VCに倣った形態・水準にしてしまうとどうしても「投資収益の最大化」という動機づけを与えることになるので、企業にとっての望ましいアウトカムとCVCの成功の間に乖離が生じる。極端な場合はCVC運営者が「シナジー・イノベーションのお題目で会社資金を元手に自己利益最大化する博打を行う」事態を引き起こしかねない。CVCの雇用契約・報酬体系・成果評価の仕組み作る時はくれぐれもこの辺に留意。
③CVC設立時にトップVC出身者などをつい雇いがちではあるが、②のような「食わせ物」キャピタリストを拾ってしまうリスク同様に、毎年の運用フィーで細々と、でも安楽に暮らすことを目指す「居座り型」キャピタリストを雇う危険性もあることに留意。VCを雇うのではなく、事業開発・事業開拓のプロを雇って「投資」という武器の限定的利用権を与える、ぐらいの感覚で臨むことが必要。
④さすがにもう流行らないでしょうが、「うちにLP出資すれば生のシリコンバレーのトレンドや投資先の動向に関する情報が付加価値です、なんなら手数料を少し余計にいたけだければレポートも書くし、駐在員を研修生として預かりますよ」みたいな売り込みは…まあ論外。もっとも、この点に関しては「罪なきもののみ石を擲て」なので、これ以上深入りしません(笑)。
【注】見出し写真は大昔にサンタクララのインテル博物館で撮影したもの。クリエイティブ・コモンズのAttribution ライセンスで公開してますが、自分で使う場合は「自分が撮ったものです」と書いておけば良いかな?