どんな人でも、自分の仕事や日常生活に不満を抱いたまま長期にわたってサラリーマン生活を送ることは出来ないのである… - 忘れがたいことば

邱永漢『貧しからず 富に溺れず』から引用します。
奥付に”昭和60年7月25日初版発行”とあります。
昭和60年は、1985年ですね。
かなり古い本です。
古本屋で105円出して買ったのですが、繰り返し読んでいます。
投資効果は絶大です。

邱永漢先生の文章は、論理的でクールで、かつ共感できます。
ジメジメしていなくて、でもドライなだけでもありません。
内容が時代のかなり先を行っているので、”世の中が邱永漢先生にやっと追いつく”という現象がよく見られます。

「私には珍しくサラリーマンに焦点を当てた読み物となった」と”まえがきにかえて”で述べています。
ちなみに、”まえがきにかえて”のタイトルは、「人はいつでも生き甲斐を優先させる」です。
今回の引用は、24章からになります。

”生き甲斐を支える経済生活

 幸いにも、日本は「豊かな社会」になって、サラリーマンの給与水準も世界に冠たるものになってきたから、サラリーマンの経済生活が自営業者や農民に比べて見劣りするということはなくなっている。現に脱サラをして焼鳥屋をやりたいとかファッションの店をはじめたいという人が私のところへ相談に見えて、「いまの年収はいくらですか」と私にきかれると、500万円とか、700万円とか答える人が少なくない。
 「仕事をはじめるのはよろしいですが、いまの年収を維持するのは難しいですよ。もしいまの倍の収入を得ようと思えば、少なくとも今の三倍働くことを覚悟して下さい」
 と私は答える。一般のサラリーマンの年収は、その安定度も勘定に入れたら普通の自営業者に比べてそんなに見劣りするものではない。その意味でもサラリーマンになる人がふえるのは納得のできることであるが、サラリーマンの生き甲斐ということになると、また別のアングルからの検討が必要になろう。「人はパンなくして生きるあたわず」であるが、「人はパンのみにて生くるものにあらず」ということもまた確かだからである。豊かな社会になれば後者の比重はふえて行く傾向にある。従って何が自分にとって生き甲斐なのか、その生き甲斐を支えて行くために、経済生活をどういう具合にやればよいのか、きちんとしたプランをたてておく必要がある。どんな人でも、自分の仕事や日常生活に不満を抱いたまま長期にわたってサラリーマン生活を送ることは出来ないのである。もしそうだとしたら、人間は自分が現に送っている生活を何らかの形で正当化して自分を納得させる必要がある。サラリーマン生活を続けるのなら、なぜ自分はサラリーマン生活を今後も送ろうとしているのか、どの程度、いまの仕事に愛着をもっているのか、愛着をもっているとしたら、どういう具合に仕事を展開して行けたら自分としては嬉しいのか、仮にそれがなかなか自分の思い通りにならないとしても、自分の才能や努力とも睨みあわせながら、自分をどういう具合に納得させたらよいのか、考えないわけには行かないだろう。”

邱先生の問いに、きちんと答えられるか。
問いかけを分節してみよう。

問1 何が自分にとって生き甲斐なのか。

問2 その生き甲斐を支えて行くために、経済生活をどういう具合にやればよいのか。

問3 サラリーマン生活を続けるのなら、なぜ自分はサラリーマン生活を今後も送ろうとしているのか。

問4 どの程度、いまの仕事に愛着をもっているのか。

問5 愛着をもっているとしたら、どういう具合に仕事を展開して行けたら自分としては嬉しいのか。

問6 仮にそれがなかなか自分の思い通りにならないとしても、自分の才能や努力とも睨みあわせながら、自分をどういう具合に納得させたらよいのか。

重い問いである。
さて、どう答える?
自分なりに考えて、文章にまとめてみると、いろいろな気づきを得られるに違いない、と思う。
他人にそれを公言するかどうかは、ともかくとして。

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