"マイホーム主義に徹すれば、出世とか、お金とか、社会的地位は二の次になる。そんな欲も野心もない人間はつまらない..." - 忘れがたいことば
邱永漢『野心家の時間割』(PHP研究所)より引用します。
少し長いですが…
”それならば(=東京都内でマイホームが、収入の半分を費やさないと買えないならば:なおたか注)、良い環境で、スペースのあるマイホームを安く建てて、サラリーそのものは東京も茨木もそう大した違いはないから、「職」を捨て「家」を中心にモノを考える方向へ発想を逆転させることも可能である。どこに住むのが自分にふさわしいのかまず考えて、職はそれに見合ったものを探すのも、確かに一つの生き方なのである。
ただし、マイホーム主義に徹すれば、出世とか、お金とか、社会的地位は二の次になる。そんな欲も野心もない人間はつまらないと思う人もあるかもしれないが、野心があったところで、人間は自分のやりたいことの十分の一も実現できるものではない。まして普通の人間は、小さな望みだけで結構、楽しく生活してゆくことができるのだから、いっそ「野心」と名のつくものは一切、捨ててしまうことも考えられる。こういう生き方は意外にストイックなもので、欲を自らの手で断ち切るという意味で、いまふうの「菜根譚」的生き方ということができる。
それに比べると、マイホーム主義にも徹せず、かといって野心家としてのスケジュールも持たず、毎日、三時間も四時間も電車に揺られている人は、かえって始末が悪い。なまじ世俗的欲望も断ち切れず、かといって、野望を実現することもできずに終わる公算が強いからである。”
自分は、この”マイホーム主義”を奉じている人間だ。
少なくとも”今の気分”では、そうだ。
家庭第一、勤め人としての仕事はほどほどに、食う分、食わせる分を稼げればよい。
問題は、このマイホーム主義者の自分を、組織が、周りが、放っておいてくれるかどうかである。
ほどほどに働きたくても、「同調圧力」がある。あんまりサボると(サボるのがバレると)、周囲から攻撃を受けかねない。
ここのかねあいが難しい。
こんな自分でも、自分なりには、”出世主義”的にがんばった時期があって(これからも、一時的には、あるかもしれない)、かんたんに二者択一にはならない。
ここも難しいところだ。
学校を出て二十何年か働いてみて、”所属している組織の仕事”は、自分の思い通りには進まないことが、身にしみてわかった。
出世とも、無縁。
であるならば、どうせ他人主導で進んでいく仕事に、全力でインヴォルブはできない。
おもしろくないからである。
だから、マイホーム主義で、自分の趣味に生きるのを選ぶ。
ところで、”サボる”というのは、「勤めをイイカゲンにやる」ということではない。
無駄な努力を極限まで減らす、ということだ。
方向を間違えた努力(非効率な努力、本質的でない努力)は、むしろ害悪であり、組織全体の方針が間違っている(非効率で、本質的でない)ならば、自分はそこから退避する義務がある。
そういう思いなのです、念のため。
自分の生き方とはあわない今の勤め先から離れ、自分の腕一本で食えるのが理想だが、そんな甘いものではないだろう。
だから、せめてそこに向かって腕を磨きながら、お金をためて、少しずつでも投資・運用して(投資信託を積立するくらいだが、何もしないよりはマシだと信じる)、理想に向かう算段をしている。
最悪、六十か六十五で、”今の勤め”から足を洗いたい。
せめて、定年退職と同時に。
もしくは勤め人としての時間を減らし、投資の収益と、自分の英語のスキル(英検1級を持っている。資格だ)を何とか金に換え、収入源を複線化したい。
英検1級をとりたい人にアドバイスしてお金をいただければそれもよいし、翻訳・通訳でも、もちろんいい。
英語の学びについて本を書いて、多くの人に買っていただければ最高だろう。
これは夢である。
長期戦の覚悟である。
妄想かもしれない(住宅ローンも、教育費もあるし…)。
だが、夢に向かっていろいろやってみることが、少なくとも職場のストレスに対抗するすべになる。
他人に流されず、自分の思いで行動する。
そういう時間を持つのが、大切だと思う。