あなたは、ブラジルに叔父がいますか? #1 青い 蝶々
小学生に入るか入らないか そのくらいの小さな頃は ブラジルに叔父さんがいるという意味をよく分かっていなかった
正しくは 未だにわかっていないのだろう 本人たちの話や思いを聞いたわけではないのだから
ブラジルに叔父さんがいる ということが 特別なことだと気づいたのは 高校生から大学生くらいの頃
その「特別」というのは 『叔父さんがブラジルにいるということは きっと何か意味や因縁のようなものがあるのだろう』と 何となく勘ぐって 父には核心を突かずにいたということである
それよりも幼いころの僕にとって ブラジルに叔父さんがいるということは ほかの人とは違う我が家の付加価値 「特別感」のようなものがあった
小学校のころ 禁止されていたのに オモチャやカードをこっそりと持ってきて 友達に自慢したことはないだろうか? 僕の場合は 祖母がお土産に買ってきた いろいろなキーホルダーを 毎日代わる代わるランドセルに着けて登校していたのだが これと同じように ブラジルに叔父さんがいる ということは 僕の中では ささやかな虚栄心を満たすものだったのだ 子供らしいといえば 子供らしいだろうか
ブラジルに叔父さんがいるということは 僕の中で なかなかのレアなキーホルダーだった 少し異質な我が家を 自慢の対象として誇らしげに思っているくらいだった
その自慢の仕方として使い勝手がよかったのが ブラジルの叔父さんからお土産でもらった モルフォ蝶の標本である
子供の手のひらほどの 大きなモルフォ蝶の翅は 青くきらきらとしていた 世界にはこんなにもきれいな蝶々がいるんだ とびっくりした… なーんていうのはウソ かな
小さいころから家にあったので それが当たり前の感覚でいた でも友達を家によんで遊んだ時に 物珍しそうに驚いていたので なるほど そういうものなのか と知った 味をしめたのだ
その当時は モルフォ蝶の標本は トイレにあった なぜトイレだったのか? それはわからないが 友達が 我が家で遊んでいて トイレを借りるとき 僕は少しだけ しめしめと思っていた
ちなみに モルフォ蝶の標本は現在 玄関に飾られている はずである
さて 僕の思い出話が多分に含まれて 何を話したいのかよくわからなくなってしまったのだが 青いモルフォ蝶の標本は その輝きを失うことがなかったように 僕にブラジルの叔父さんのことを 忘れさせることはなかったのである
この話の教訓は 何かを刷り込むならトイレが一番良い ということだろうか