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Brazil入国の巻 Cruzeiro(クルゼイロ)へ。

初ブラジルそして初の義実家へ('◇')ゞ

まずはナポリ空港にて
ブラジル行き飛行機搭乗のチェックイン。

2023年5月時点では
ブラジル入国にはワクチン証明か陰性証明が必要だった。

俺: COVIDワクチン接種証明書の提示を求められた。(想定通り
夫: なぜか特に何も聞かれてなかった・・。(ブラジル人だからか(';')???

ランダムというか適当というか、イタリアのスッチーさんの
気分によるのかもしれない。

フランスで乗り換えした後
サンパウロのGuarulhos(グアルーリョス)空港へ到着。!!
夢のブラジル、興奮してしまう。

入国の際にはワクチンやその他について特に何も聞かれず。

それにしても入国審査官という職業は
人に負のオーラをまとわせるのではないか・・。

知り合いが空港に来てくれていたので
空港内にあるRei do Mateというカフェに行き、
マテシェイクとPão de queijo (ポン・デ・ケージョ)という
チーズパンを食べた。

両方日本では見たことのない食べ物だったので
南米に来た~という感じがする。

その後、知り合いに別れを告げ
グアルーリョス空港からバスに乗り
Tiete(チエテ)バスターミナルへ。

ポルトガル語でテイクアウト注文に挑戦。

日本のファーストフードの感覚で注文したが
30分待つも永遠に出てこなかった。
バスの時間が来て、やむを得ず立ち去ったぜ。くぅぅ

チエテにてバス乗り換え、
Cruzeiro(クルゼイロ)という夫の故郷へ。
2時間半くらいのバス旅。

サンパウロ中心地と比べるとグッと田舎感が増した。
強盗や殺人もちょくちょくある地域らしい。
上り坂下り坂が多いよクルゼイロ

クルゼイロの中心地からは車で数分の義実家へ、
夕方頃到着。
家には夫の母と祖母が同居しており、
車で数分の近所には兄夫婦が住んでいる。

義母の住むお家に、我々も一週間泊まった。

・はじめまして → 泊まらせてもらう、もしくは
・帰省 = 長期で泊まらせてもらう、という流れ
 海外帰省あるあるなのではないでしょうか。

夫は約4年ぶりの母国、家族との再会だったので
『ハグと涙でドラマティックことになるのでは・・
もらい泣きしてしまったらどうしよう』と勝手に
ラテン系ブラジルの家族像みたいなのを脳内で繰り広げていたが
涙は無しで全員笑顔でハッピー!という感じだったので安心した。

そして自分もドキドキしながらついに義母&義祖母に
はじめましての挨拶をして
早速義母の手料理を食べる。

長いフライト&バス旅の後で頭もボーっとしているし
見た目もボロボロの姿の自分だが
彼の家族に会ったり、異国の食事を口にしたり
色んなころが次々に起こって頭が追いつかないような
お祭りマンボーな気分だった。

夫に都度訳してもらいながら、
少しの英語、ポル語、日本語でみんなと会話した。

お互い積もる話がたくさんある、日本での生活のこと、
旅行、仕事、共通の知り合いの話、
ブラジル勢のここ数年の近況・・

特にコロナ禍でどこの国・社会も
何らかの動揺や経済への影響を経験した。
政治によって対応や制裁の内容は異なるけど
とにもかくにもお互い大変だったよね、と共感し合う。

タキシードキャット萌
ネコパーンチ!

義実家滞在中、
朝は義母の手作りパンを食べるのがいつも楽しみだった

全粒粉、コーヒーとよく合う
89歳のおばあちゃん

日系おばあちゃん

夫の曽祖父母は元々神戸で下駄屋さんをしていて
子ども4人引き連れ、船で2-3か月かけてブラジルへ。
その後、祖母や他の兄弟たちがブラジルで生まれたのだそう。

曽祖父母はブラジル到着後、言葉もよく分からない土地で
農家の手伝いのような仕事から始め、
上の子たちを学校に行かせる余裕もない状況だったらしい。

そんなおばあちゃんは若い頃から
ネイルサロンで仕事をしていた。
爪の形きれいですね、と伝えた次の日
ふいにやってきて、慣れた手つきで
夫と私の爪のいかつい甘皮をきれいにしてくれた。

1週間の滞在の間、おばあちゃんは基本
ポルトガル語でないと会話できなかったのだが
たまーに日本語が溢れ出す瞬間があって

「農作業を終えて夕方過ぎに帰ってくる父親が
日本語を教えてくれた、だから未だに喋れるよ」と
色々昔話をしてくれた日があった。

ブラジル生まれブラジル育ちのおばあちゃん。
日本には一度も来たことないらしいが
遺伝子的には日本人で、日本人の両親に育てられて
日本文化というかスピリットというか
何か近いもの・繋がりを感じれた貴重な瞬間だった

日本で出会った彼、日本人にしてはブラジルバイブだけど
ブラジル人にしてはとても日本人っぽい面もある
彼の原点はここなのか~・・(';')と今回のブラジル旅は
彼のルーツについて学べた旅でもある

ブラジル料理

ブラジル料理といえばフェジョアーダ。
豆、豚肉(耳やしっぽも)を煮込んで
ケールの炒めたやつとファロファ(キャッサバ粉)と一緒に食べる。

ランチ後はアサイボウル。

バナナ、ミルクパウダー、練乳、グラノーラなどを
お好みでかけて食べる。

ある夜は義兄夫婦がブラジル寿司を作ってくれた

サーモンとクリームチーズ
奥に見えるのは揚げ寿司。
ブラジルでは定番らしい。

色々アレンジして世界中で愛されているSUSHIよ。

義母は滞在中、文字通り我々の到着直後から
家を去る直前まで常時、何かをこねたり焼いたり
揚げたり煮たり料理してくれていて
そんな「お母さん」の後ろ背中が今でも忘れられん。

最終日はハンバーガーを注文した。
お肉の他にハム、ポテトとコーンまで入っている!

クルゼイロツアー

クルゼイロの歴史を学ぶべく、
Museu Major Novaesという美術館へ。

大学生のボランティアが無料でガイドしてくれる。
昔、青のインクは貴重だったらしく、
富の象徴としてこの建物に多く使われている。
この建物はお偉いさん(Manoel大佐)の所有だったっぽい。
空きれいや
敷地の庭は週末イベントに使われているらしい

美術館を後にする際、
とても丁寧な説明をしてくれた
素晴らしい大学生ボランティア好青年に
「美術館ツアーどうでしたか?」とポルトガル語で聞かれ

「……!!(自分の感動をなんとか伝えたい!!)

うーーーーあーーーー・・・、Muito gostoso! obligada!」

って言ったら

夫に「gostoso、どっちかというと
気持ちいいとか美味しいっていう
意味になっちゃうケロwww」と
つっこまれて

「うおーーーーーーmuito bomの間違いやあああ(/ω\)涙」
と赤面したのであった。

こうやって人は学ぶんよね、そうよね。


そして週末のある日、義兄が
クルゼイロのLavrinhasという地域にある
Cachoeira da pedreiraというところへ連れてってくれた。

川や滝がある
昔は無料だったらしいが
今は4レアルくらい入場料とられる
山脈~
猫じゃらしを持って帰った。

スーパー物色

マテ & フサスグリのティーバッグ

日本から遠く離れた国なのでブラジルは全てが違う。
住環境・食生活・治安・・言語も分からんし何かと自由が利かない。
クルゼイロではアジア人目立つし治安は近年そんなに良くないらしく
昼間でも一人で散歩はあまりおススメできないよ・・と言われていた。
家から数メートルの八百屋は数か月前、銃をもった強盗にあったらしいし
我々の滞在中にはギャング絡みで殺人もあったらしい。
それでも「どないやねん、まじかよ」と白目向いて
驚愕していたのはジャパの私だけだった。(';')

夫に頼ってばかりになるのも自由人にとってはしんどい。
そんな時は家から少し外に出て、近くのスーパー店内で
うろちょろするのがちょうどいい気分転換で、
色々商品を眺めていると異国での面白い発見があるし
結構癒された。

後はノージョブフドウさんのYouTubeがおもしろすぎて
貴重なGBを枯渇してしまったがこれも気分転換、というか
ほぼ生き甲斐になっていた。

カーリーヘアー多め
炭酸飲料多めなのは気のせいか
卵も大人買い
パイナップル、マンゴー、パッションフルーツ・・
お肉は逐一カットしてもらう
左側にあるピニャオ、ジロなど
日本で見たことない野菜がたくさんあった
カップヌードル、フェジョアーダ味・・
キットカット、わさび味的なノリで
いけるのかもしれない。。
洗濯用洗剤
食器用洗剤

もうすぐ帰る

猫たちともたくさん戯れ、
夫の家族ともブラジル流にしっかり時間を過ごせた。

ブラジルの家族は心が温かくて会って間もないのに
仲間として接してくれた。
途中からはシャイモードも抜け、「そうか、こうやって
どんどん前向きに話しかけて
あんま気にせずに過ごしたらいいのか」と
自分の中で居心地良い感じになっていった。

ラストの日。
朝ごはんのあと少し掃除をして、ママとトランプしたりして
おばあちゃんにも、つらいけど挨拶。

「もうすぐ行くね、次はクリチバに行くよ、
色々ありがとう。」と
顔を見たらお互い涙ぐんでいた。

おばあちゃんのいつも座っているソファーベッドに
お邪魔してテレビを一緒に見たり
ネコ撫でたり、お話したり、居眠りしたり
不器用な自分に居場所をくれたおばあちゃん、ありがとう。!

スーツケースをもってどこにいくニャ?!
瞳孔・・
おろしてにゃー

みんなにお礼を言ってしばしの別れ。
つらい。

バスの中で「The kitchen」というインド映画を見る。
最近、旅YouTubeばっかり
しかもインドものばっかりに
はまっていた私に呆れながら
夫がインド映画を数本ダウンロードしてくれていた。

映画そのものは個人的には大当たり・・結構好きだったのだが、
その辺からダウンロードして持ってきた字幕が
素人が作ったのか英語がはっちゃっめっちゃっで震えた。

そしてバスの中で数匹小さいゴキブリを見たので
そちらにも震えた。
幻だったと信じたかったが2匹目を見た瞬間に確信、
そして絶望。

バスという閉塞感のある空間で出会う
ゴキブリのホラーさといったら。。

・・・ゴキブリで締めくくることになってしまった。