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ニュージーランド生活5年目

今回の一時帰国で何も知らない日本を、もっと知りたいと思った。

そういう風に強く思う機会があまり今までなかったから、逆にニュージーランドに帰って来た時、どういう感情を抱くのだろう。と初めての経験に少し緊張した。

日本を出て4-5年間必死に何かを掴もうともがいてきたこの気持ちや、ニュージーランドへの目線にも影響するのだろうか……

永住権を取ったとはいえ、言わせてしまえば本当にそれ以外ここに何の縁もゆかりもない。



1ヶ月の日本滞在を終え、色々な感情を抱きながら最初に喋ったニュージーランド人はバイオセキュリティの検査員だった。

島国であり、他国から離れているニュージーランドで他の種や新しい病気を持ち込むことは、国の生態系の存続に関わるので、私みたいな、日本の種が多い山でハイキングをした靴をそのまま履いてきてしまうような人物に対し、普通、検査場はかなりピリつく。

何を申告しなきゃいけないんだっけ。と頭の中で復唱し、少しドキドキしながら順番待ちをする。

何も悪いことはしていないのに、なぜか警察を見ると背筋が伸びるような感覚と一緒で、何年かに一回起きるこのイベントはいつまでたっても慣れない。
(靴を洗ってこればいい話なのだけど🤦🏻‍♂️)


けれど
思いとは裏腹に、自分の順番になり入った瞬間緊張がほぐれ、ただただ正直に話そうと心から思った。

明るかった。

それは1人の検査員の髪色が蛍光ピンクだったからだろうか、
はたまた半袖の制服に隠しきれてない色付きタトゥーがたくさん入った彼女のおかげか。
「今日暑いよね〜」と言って扇風機の前でしばらく嬉しそうに涼む検査員や、
口ずさみながら上半身でリズムを刻む検査員がいたからかもしれない。

あー、そうだった。


最低限のルールややることは守りつつも、それぞれがそれぞれで生きていってるんだ。

4年も住むとそれが当たり前になり、気付かないものも、違う文化に1ヶ月でもいると比較でき、はっきり感じるものだ。

この手放しだけれど、自由でいさせてくれる社会の感覚が、ポンコツだけれど一丁前に「気にしい」な私には居心地がいい。


結局、激フレンドリーなピンク髪検査員と笑顔でお話しし、靴を洗ってもらい、最後は
「Have a great day hun☺️」と言われ終わった。



日本の自然の良さを知ってしまった今、食べ物だったり、家族だったり、第二言語だったり、温泉だったり、
日本人としてここにいることがネガティブに作用するものは山ほどあるのに、どうして4年も1人でニュージーランドに執着するのか、納得した。



最初の飛行機(成田→Auckland) が遅れたため、次の乗り換え(Auckland → Christchurch) がかなりギリギリで、ハラハライライラしながら早歩きで検査場に入り込んだ私を、
終わる頃には、なんか、なんで、こんなに焦ってるんだっけ?と全部の利点を得ようとしている自分が恥ずかしくなり、体の緊張が解けた。



It’s not a big deal 大した問題じゃない。

きっと個人や、自由を尊重すると、機能しなくなってしまうことも物事もあるのだけれど、

ニュージーランドの中にある、「自由」と「機能」のバランスが私にはきっとちょうどいいのだと思う。


私は容量が悪いし、一気に色々なことをできるような器用な人間じゃないから、何か小さいことを気に出してしまうと、自分の一番大事な心の声に耳を傾けにくくなってしまう。

最低限を守りつつ、手放しで一人一人がそれぞれに生きていっている国にいたからこそ、心に容量ができ「自分」というものに最大限向き合い続けることができていたんだなあ。


少し何かが機能しなくなってしまったとしても、誰かが死なない限りこういう自由さは守っていきたいよな、


ちなみにお隣に住むニュージーランド在住50年目アメリカ人の友達は、アメリカではその「自由」や「個人主義」が行き過ぎてしまってるから私には居心地が悪い。もう少し他人を気にした方がいい。という話をしていた。


当時、自由は行き過ぎたら行き過ぎるほどいいと勝手に思っていたから、なるほど、その観点もあるのか。と拍子抜けしたのを覚えている。

日本の「誰かのために動く。」をみんながきちんと守っている社会、他人をしっかり尊敬していくような国民性にも美しさがあり、窮屈さがある。


きっとどこが正解なんてないのだけれど、しっかり理解し、比較し、常にアップデートし続けながら、自分のベストマッチを見つけていきたいなあ。


いつも一時帰国後の空港では、想いが溢れる。


16/11/2024

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