ニュージーランド生活3年目
2023年2月。私は2ヶ月の日本への一時帰国を終え再びニュージーランドに入国していた。
初めて降り立った時から、約3年が過ぎていた。
初めの時と同じように、夕方に経由地を出て真夜中にニュージーランドに着き、そのまま空港泊。
私のような次の日予定がない自由人間はこういう意味のわからない時間に着く安い便を好む。
いや別に好んでるわけではないけれど、ただそこまで空港泊をすることとか、次の日に対する執着がないので、安いのを選んだ。
こういう、周りがやかましくても、自分の格好がボロボロでも、構わず寝れてしまう自分は、好きだったりする。
私の周りには同じような便でついた人が20人ぐらい雑魚寝をしている。
寝そべりにくいように作られている変な形のソファーや、一個ずつ手すりがついた横並びの椅子を、みんな器用に使ってベッドにし、寄り添いながら無造作に寝ているのを見るとなぜか親近感がわく。
今3年前の自分に言葉をかけれるならなんてかけよう。なんてきざなことを考えていた。
考えなくてもいいことを考え続けられるのが「こういう」真夜中の特権だな、なんて思いながら。
20歳になりかけの頃の自分は、目に見えない、言葉で表現しいくいものと、小さな頭とわずかな経験値、大人たちの言葉を反復しながら、必死に戦っていた。
今の私は海外の居住権と、やり遂げたそれなりの経験があるからこそ、周りからの多少の信用と自分を正当化する説得力はあるけれど、20歳の時の私は見事に何も持っていなかった。
周りに比べてしまうと、学歴も、なんのスキルも、経験値も、英語力すらもなかった。
「海外に自分探しに行く」なんて言おうものなら、会話が続かず気まずくなるか、どれだけ私が将来を考えてないか優しく丁寧に説明されるのが定番だった(両親は違ったけれど)
それでも他の誰かが私の人生を進めてくれることはない。結局は全部自分次第。
あなたに上から目線でものを言って来た人は、その先あなたの身に何が起こっても言ってきた言葉の責任なんかとってくれやしない。
散々否定してきた人たちが、居住権を取ったときに急に手のひらを返して甘い言葉をかけ出すのを見て、これを確信した。
自分の人生の責任のはもちろんのこと自分だ。自分の人生の尻拭いも自分だ。
前が見えずボロボロで泥沼をもがいていたのにも関わらず、世間一般論に反抗して飛び出ていった20歳の私は、どのバージョンよりも強いと思う。
難民支援をしていた友達がこんなことを言っていた。
「飛び込める人っていうのは二種類いて、1つが本当にガッツのある人。もう1つが、もう何も失うものがない人。」
私は圧倒的に後者だったのだろう。
それでも怖くて仕方なかった。答えのない、「自分だけ」を、この泥沼の中から見つけられなかったらどうしよう。
だから思った。
きっと今彼女に会うことができたら、真っ先にハグしにいくだろう。
私の上司/友達のテイラはよく私にハグをしてくれた。
英語ができないまま、一人で「完全英語だけ環境」に挑んだ私を、言語の壁は思いっきり引っ叩いた。
意味もわからず突然泣き出す私に、テイラは「あなたが泣くと私も泣きたくなっちゃうわ」と言い理由を聞く前に必ずハグをしてくれるのだ。
テイラは、弱っている動物を見ると、自分を犠牲にしてでも助けに行く。
店員さんが間違えてお釣りを余分に渡すものなら、正直に返しに行く。
毎回巻き込まれる彼女のパートナーから聞く愚痴を、笑って聞いていたけれど、すごく尊敬していた。
ハグは一瞬でそんな彼女の温かさを伝えてくれる。
悔しさや、寂しさは変わらないのだけれど、その温かさが私に何度も前を向かせてくれた。
私は文章を書くのが好きだけれど、こういう無言語のコミュニケーションの方が好きだったりする。
言葉にするとお互いの脳の思考の間、喋り手と、聞き手の間に大きなギャップができることが多い。それを楽しむのならいいが、説明とか、理論とか、効率とか、時にはそういう堅苦しいことを推奨してしまうような気もする。
ハグはなんだっていいのだ。と私は思う。
よろしく、でも、ありがとう、でも、会えて嬉しい、でも、ごめんね、でも、
日本人にとっては慣れない、少し暑苦しいものを、私は戸惑いながらもずっと好きだった。
説明できないのだが、なんだか心のあたりが「ホワン」となって、どうしたって拭えない「肯定感」が伝わってくる。それは自己のためでも、他者のためでも。
理解をしてもらおうと感じるのではなく、ほったらかしなのだ。
今考えると、その出来事になんの根拠も説明力もないのだけれど、小さな頭の私はそのほったらかしの世界で、何かを感じたのだ。
その何かが自分の人生を少しずつ進めさせてくれているのなら、なんだっていいのかもしれない。
そんなことを空港のベンチで感じ、眠りについた。体はその寝心地の悪さに悲鳴をあげているのに、なぜだかそこを家かのように感じ、妙に嬉しかったのを覚えている。
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