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「心因性疼痛」という「言葉」に恐さを感じるわけ


この記事の後半にも少し書いたけれど、私は、自分自身はそう言われた経験が無いのにも関わらず「心因性疼痛」という「言葉」が大嫌い&怖い、かつ、この世から消えればいい、と思っています。

今まで、痛みについてお話しする機会をいただく度にこの事を訴えてきました。

ようやく「痛覚変調性疼痛」という言葉が普及してきて、ホッとしたこのタイミングで、その思いについて綴ってみようと思います。

長ーくなりますので、お時間のある時に読んで下さると嬉しいです。




1.「心」という言葉に宿る言霊

医療の場面では無く日常生活の中で「心」という言葉を使うとき、それはどんな意味を持っているのでしょう・・

中島みゆきさんの大ファンである私が「心って何?」と聞かれたら、「命につく名前のこと」と答えるのだけれど ^_^;

心」って、その人そのものだと思うのです。

性格、生まれ育ってきた環境、考え方、物の見方、etc.全てひっくるめて、その人の心がある。

「心」という言葉には特別な力がある。

だから自分が苦しんでいる痛みを「心因性」と言われたら、まるで自分の痛みは自分のせい、自業自得と言われたように感じる。

被害妄想が過ぎるかもしれない。

でも、多くの患者さんの記録を読んできた私の実感として、慢性痛にまつわる医療者と患者のすれ違いのきっかけとなる言葉ランキング1位は「心因性疼痛」であることは間違いないと感じています。

こんな危険な言葉を安易に使う医療者は怖い。


2.先輩患者さんのブログから感じたこと

私がCRPSと診断された2008年の春。
当時、検索魔と化した私が偶然みつけた先輩患者さんのブログがありました。(現在は削除されています)

数年分の記事を夜を徹して読み通し、そして、この患者さんが、かつて自分と同じ病院で治療を受けていたことに気付きました。

上肢の手術後に発症したCRPS。
神経ブロックを繰り返しても症状は増悪の一途をたどり、最初は親身になっていた執刀医もやがて精神科にしか入院させないと言い、不随意運動は身体表現性障害とされ、症状を強化しないようにという方針のもと、発作が起きても放置される。

耐えられず転院し、痛みの中でも明るく前向きに生き続け、そして、侵襲的な治療に挑み続けた彼女。

何回かお話しやメールのやりとりをする機会を得て、まだ若いこんなに小さな身体のどこからこのエネルギーが出てくるのだろうと、いつも励まされていました。

2009年9月に亡くなった後も、私の心の中で生き続けています。

もちろん、当事者の綴る言葉にはバイアスが入り、客観的な事実と違うところもあるとは思います。

でも、診断後間もない私にとって、彼女がこの病院で受けた仕打ちとも思える医療の記録は

主科に心の問題だとされたら終わる

という恐怖を植え付けるに十分な情報でした。

以降、私は自分の心の闇と、感じ方の特性と、それが痛みに関与していることを自覚しつつ、決してそれを医療者に悟られないよう細心の注意を払うこととなりました。

ペイン主治医に、辛かった生育歴を語れるようになったのは、痛みも機能障害も良くなったずっと後のことです。

3.スキルス胃がんを見落とされた慢性痛患者さん

私はCRPS発症後1年頃から、主にリハビリテーションの記録のためにブログを綴っていました。

その中で仲良くなったブロ友さんから、ある日メッセージ(Twitterで言うところのDM)が届きました。

私が仕事上、抗がん剤治療や緩和ケアの患者さんにも接することが多いと知って、自身の現状について綴ってくれたのです。

それは、ステージⅣの胃がんが見つかり、抗がん剤治療中だけれども、おそらく予後は厳しいというもの。

そして、「ちひろさん(私のハンドルネーム)がまた語る機会があれば、たとえ慢性痛の患者でもいつもと違う痛みを訴えた時はきちんと検査すべき、と伝えて欲しい」という内容でした。

彼女はCRPSと線維筋痛症疑い(広範囲の痛み)の診断でペインクリニックで加療中でしたが、上腹部痛を訴えても「気持ちの問題、ストレスの影響」とされ、消化管の精査をされることは無かったそうです。

その後、ありがとうの言葉を最後にブログが閉じられました。

4.診察室の一コマ:精神科に送っとけ

(この項はプライバシー保護のため事実を変えています)

以前の担当科の外来で医師のカルテ入力補助をしていた時の事です。

ありふれた手術の後、手術そのものは何の問題も無く終了したのに、術後、強い痛みとともに肩から先が動かなくなった患者さんが受診されました。そして、その日はちょうど学生さんも見学していました。

手術の影響では?と詰め寄る患者さんに、先生は丁寧にお話しているように見えましたが、患者さんが診察室を出るやいなや後輩医師へ電話をかけ、怒りの口調で「精神科に送っとけ」と。そして、学生さんに向かって「明らかに心因性、気持ちの問題ですね」と説明されたんです。

側で聞いていた私の心は凍り付きましたが、立場上何も言うことは出来ませんでした。

ベテランの先生なので、器質的な異常が無ければ心の問題。
それはそれで仕方がないのだけれど。普段温厚な先生の吐き捨てるような口調はショックが大きかったです。

そして大好きな「精神科」への侮辱とも感じました。


5.痛みに心が関与していないと言いたいんじゃない。関与しているからこそ、言葉には細心の注意を払って欲しい。


ここまで読んで下さった方は、私がなぜ「心因性疼痛」という言葉をここまで嫌うのか、なんとなく察して下さったのではないかと思います。

痛みに心が関与していないと言いたいわけではありません。心理社会面を考慮した集学的治療が大切なのも実感しています。

ただ、「心因性」という見方は医療者を思考停止にする=「医療者の心を楽にする」面があるという事(心因性としておけば痛みの責任の所在を患者側にしておける)を忘れずにいてほしい。

そして、痛みと心は密接に関係するからこそ、医療従事者は痛みの言葉にも細心の注意を払ってほしい、と、そう思うのです。

痛みに苦しむ患者が、癒されるはずの診療でさらに傷つくという事が無いように・・


脳の変化で起こる痛み、「痛覚変調性疼痛」と命名 治療法開発に期待(朝日新聞)


初めて「痛覚変調性疼痛」という言葉を知った時は、なんだか文字数多過ぎ、難しすぎ・・と感じたけれど。

言葉が変われば、受け止め方も変わる。

慢性痛は「気持ちの問題」から「仕組みの問題」へ。パラダイムシフトが起きることを願ってやみません。

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