同性婚を認めるとは、
同性婚を認めるとは、
「結婚の目的は 永遠の愛 だ」と言い切ることである。
結婚の目的に対する意見は大きく2つに分かれる。
「永遠の愛」か、「生殖」か。
「好きだから、結婚したい」のか、
「この人との子供が欲しいから、結婚したい」のか。
結婚の目的を「永遠の愛」
と考える人は、同性婚を法律で認めることにも賛成する。
・愛に生物学的な性別は関係ない。
・異性間だけ認めることは差別であり、法の下の平等に反してる。
「同性婚を認める」
既存の婚姻法で認められる対象を異性間のみから同性間まで拡大する。
結婚することで得られる法的保護、経済的、社会的権利など、同性カップルも異性カップルも得られる名誉に差はない。
問題点は、
「差別の禁止」と「選択の自由」が主な理由のところ。「個人の自由の尊重」とも言う。
「個人の自由の尊重」
この言葉の前には、何も言えなくなる。
小児愛も、不倫も、一夫多妻も、一妻多夫も、未成年の売春行為も、一人で結婚するでも、すべての愛は自由なのだから、と。
暗黙の了解というのか、
日本国民共通の善というのか、
全ての愛の対象を自由にすることに反対する人は多い。
結局「万人の自由」なんて存在せず、どの愛が法的に保護され、どの愛が大目に見られ、どの愛が犯罪行為なのか、どこかには線引きすることになる。「個人の愛の形は自由だから」なんて、無責任には言えない。
結婚の目的を「生殖」
と考える人は、同性婚を法律で認めることに疑問を抱く。
・子供を産めないのなら結婚する資格がない。
・政府が「大目に見る」のと「お墨付きを与える」では大きく違う。
・伝統としての「結婚」の名を汚す。
「同性婚を認めない」
結婚が認められるのは異性間のみ。
同性カップルは公的には認めないが違法でもない。否定も肯定もしない。大目に見るだけ。法的保護はしないし社会的承認もない。
問題点は結婚の第一目的が「生殖」なところ。
法的に結婚してない二人の子供の父親側は社会的に保護されず、法律上、他人になる。でも結婚の条件に生殖能力は問われない。結婚したからという義務感からではなく、二人の愛情関係の中で、ほとんどの子供たちは生まれてくる。
法的に子供を作ることを強制されることもないし、子供のいない夫婦もたくさんいる。子供が作れなくても結婚できるし、それが離婚の理由にもならない。ただ、子供を産むのなら結婚しないと保護しないですよって。
どっちの立場も強くて深い宗教観や倫理観を信じて疑わないため、2つの意見の相違に中立の立場はない。
同性婚を、「認める」か「認めないか」。
政治家一人ひとりがこの問題を考える時も、私見が入り込むのは避けられない。結婚の目的は「永遠の愛」か「生殖」かの個人的な考えが。
同性婚を法律で認めるとは、
結婚の目的は「永遠の愛」だと公的に認めることであり、愛し合う同性の二人を、国という第3者が称賛することである。
ただ、政府の仕事は国民全体に地位と名誉を正しく分配することであり、自分たちの考えを国民に強制することではない。
社会的に称えられるべき美徳は何か。
社会生活における共通の善は何か。
愛し合う二人の相互依存、交友関係、家庭の理想は、「永続的な愛」なのか、「子孫を残すこと」なのか。
揺れる同性婚問題の解決策の1つ、
「結婚制度を廃止する」
政府の公的機能としての結婚の承認をやめる。同性婚も認めないし異性婚も認めない。あらゆる愛の形を公的には認めない。
国に頼らず、許可も干渉も受けず、愛し合う二人はいつでも好きなように結婚式を挙げ、好きなように祝い、結婚する。
その代わり、
シビルユニオンやパートナーシップ制度を充実させ、二人の法的保護はもちろん、相続権、緊急時の病院での面会権、子供の養育権など、一連の経済的、社会的権利は保障する必要がある。
自ら選んだ愛する人と、
「夫婦」ではなく、「パートナー」という関係で一生を添い遂げる。
これが実は一番平和な解決策かもしれない。
ただ、伝統としての結婚は無くすことが難しく、未だかつて公的機能としての結婚制度を放棄した国もない。
同性婚をめぐる問題は、
LGBTQ+の当事者たちだけの問題じゃない。
結婚の目的から、社会における共通の善、理想の愛の形まで、国民全員が考える必要がある。
文化が人を作るのではなく、人が文化を作るから。
時代に合わせて理想の愛は変わる。
古代ギリシャでの最上級の愛の形は平民少年への愛(=同性愛+小児愛)だったぐらいだから。
政府じゃなく、国民全体で結婚の目的は永遠の愛情関係だという立場をとり、LGBTQ+カップルへの賛同と称賛の雰囲気を作らなければ文化は変わらず、社会も変わらない。
「この人と結婚したい」
そう思うのは、子供ができなくても二人で「永遠の愛」を誓い、社会的に認めてもらいたいからか、相手を永遠に愛することはできないけど「子供」を作って一緒に育てたいからか。
同性婚を認めるとは、
結婚の目的は永遠の愛だ、と言い切ることである。
私はもちろん、
愛があればなんでも良い派です。
(異論は認めます。)