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【趣味】ONE163 11.19 青木真也の次戦に寄せて

自分はいわゆるスポーツ観戦が趣味だが、正直言って選手が「表現」という言葉を使う事に違和感がある。

例えば2014年のザッケローニ監督下のサッカー日本代表でキャプテンを務めていた長谷部誠。W杯が近づくにつれ結果が出なくなっていたチーム状況についてインタビューされた際に「自分たちのやりたい事をピッチの上で表現できれば結果はついてくる」というようなニュアンスで”表現”という言葉を使っていたと記憶している。一ファンとしては、ピッチの上では作戦と個々の選手がベストを尽くす事が大事で、スポーツエンターテイメントの世界においてドラマはベストを尽くした結果、勝敗の先についてくるもので"表現"という言葉は似合わない、と感じたものだ。

が、そんな自分のスポーツエンターテイメントの認識から突き抜けた存在がいる。我が推し青木真也だ。そして青木真也の凄さを語るには、まず今のMMAの団体の状況を理解する必要がある。

今のMMA界はUFCを頂点としてPFLやらBellator、LFAなどの団体があり、アジアではONEが勃興しAmazonと組み北米市場にも進出を強めている。これらの団体は競技としてのMMAを突き詰めている組と言えると思う。一方、我らが日本にはジャパニーズMMA組の系譜につらなるRIZINがある。

ジャパニーズMMAてなんやねん、と言うとそれは、メディア、団体が積極的に選手のキャラクターを定義しストーリーを作っていく、というスタイルであると思う。かつてPRIDEが一斉を風靡した時にも、桜庭(グレイシーハンター)、ヴァンダレイ・シウバ(戦慄の膝小僧)やヒョードル(氷の皇帝)など、それぞれにキャラクター付けがされ、物語が紡がれていた。

青木真也もその系譜の中で世に出た選手の一人ではある(詳しくはご本人が加藤さんやら佐藤大輔さんとの関係をあちこちで語ってらっしゃるので、そちらを参照頂くのが良い)。ただ青木真也が決定的に他の選手と異なるのはメディアや団体が作ったストーリーから離れて、自分で自分の物語を紡ぎながら戦う道を選んだ真のファイターでプロレスラーという点であると思う。

多くの選手は自分の物語を団体・組織にゆだねる。私含め多くのビジネスマンもまた会社組織に身を置く事で安心と安定を得ている。それは悪い話ではない。でもどこかで誰も自分の思うように生きたいと思っていて、どこか煮え切らない自分に納得できない思いもあるはずだ。

青木真也は違う。自分の歩きたい道を歩く。ありたい自分を追い求める。

今日、ONEのチャトリが来日して記者会見を開くという話は聞いていた。仕事でリアルタイムで観る事はかなわなかったが、青木真也の試合がある事は明白だった(ご本人も事前にnoteで報告して下さっていた)。相手が誰なのかは気になっていたが、twitterで流れてきたその名前を観て、やはり・・・という印象であった

相手はイザガクマエフ。青木とも対戦したジェームス・ナカシマを圧倒、前試合では元UFCの中国人選手に何もさせず完封。そして試合後のマイクでは執拗に青木真也との対戦をアピールしていた男。ONEのライト級は77kgだけど、奴の試合時のサイズはもっとデカい。青木真也が技巧派とすれば、イザカクマエフはパワー派。楽な相手ではないし、年齢的にも今まさにライジングしている選手。私は青木真也推しではあるけど、不利な相手だと思う。けど青木真也は受けた。

青木真也はかっこよくありたい、闘いを追い求めたいと言う。

一方私は?私は、自分が肉体的にピークアウトしている事も多々感じるし、優秀な若者のビジネスマンに脅威を感じつつも適当に先輩風を吹かせて逃げてしまっている。

青木真也は逃げない。どんな条件だろうが試合をするし仕事をする。これから一カ月、青木真也は試合の準備とプロモーションに全力を尽くすのは明白だ。青木真也の"表現"には闘いもそこにいたるプロセスも、もっと言えば生活そのものが内包されている。だから信頼できるし、乗れる。

その姿を観て、私もきっと自分もやらねばと奮い立たされる。青木真也は自分で自分の物語を紡いで、客に見せて、それで稼いで生きている。私がやっている事など青木真也に比べると大した事はない。

青木真也の仕事・試合・何より物語をまた見れる、これほど楽しみで勇気づけられる事はない。

後一カ月、ヨカタなりに青木真也を応援していきたい(とりあえずステッカーとタオルは買いました)