信頼できる人の器とは?
相続に関するお金のトラブルは、正直自分にとっては無縁のことだと思っていた。
何故なら、両親はまったくと言いてほど何ももっていないからだ。
財産となるよな、家・土地・貯蓄がほぼない。
3人兄弟で、分けるといってもそもそも分けるものがないので、争うこともない。
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我が家の相続関係はプラス・マイナスなく引き継ぎが完了しそうなのだが、嫁の方はそうもいかなそうだ。
プラス面で相続する”もの”や”賃金”があれば、我が家はいいからどうぞ。とすんなりいけるのだが、これがマイナスの相続となった場合、話が厄介だ。
家族間での借金があった場合、いくら自分たちが真面目にコツコツと頑張ってきたところで突然事故にあったかのような負債がのしかかる。
自分たちに非はまったくないのだ。
ただそれでも家族のために、負債を分散する必要がある。
突然の負債で、いったいいくらであれば我が家は返済可能なのか。
兄兄弟夫婦は、支払いを実施してもらえるのだろうか。
ありもしない未来をイメージしていまう。
人間はリスク回避のため、先を読み行動を制限したり準備を行うことができるとても優秀な生き物だ。
ただそれは考えすぎてしまい、自分自身にダメージを与えることもある。
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こんな話を聞いたことがある。
人はピンチに陥った時、ついついギャンブル的な行動に行きがちで、最終的にはドツボにはまる。
例えば、200万の借金をしたとき、無条件で100万返済できる券か、コイン一回投げて、表がでれば200万チャラになる券があった場合、ほとんど人は、コインを選ぶという。
一歩間違えれば、200万の負債は減らないのにだ。
一発逆転をなぜか人は望んでしまう。
ピンチの時ほど確実に動ける選択肢が必要だ。
相続の話に戻すが、
家族間とは言え、兄弟でも信用指数が違うのだと今回の件でよくわかった。
親から見た子どもへの信頼指数は今までの行いや親とのコミュニケーションで大きく変わってくるだと感じた。
親は子どもたちには平等に、教育環境をあたえたり愛情を注いだりとしているつもりなのだが、マイナス面(失う恐怖)が絡むと、本性が現れるものだと感じた。
家族間でこの信頼関係なのだから、会社やコミュニティではどうだろうか。
赤の他人にどれだけ信頼をおけるだろうか?
逆に他人からどれだけ信頼を得られているだろうか。
信頼を得るために、仕事やコミュニティでは自分の名刺となる結果をだす必要がある。しかしそれは一時だけの信頼ではないだろうか?
本当の信頼とは、まず相手を本気で信頼・受け入れて信じてあげるべきではないだろうか。
そこから一歩一歩、信頼関係というのは生まれてくるのではないだろうか。