死を考えることで、生きる意味を見つける
ラジオで死ぬってどういうことだろう?
とトークテーマで話しをしていた。
この命をもらい、今まで生きてきた。
死のことについて考えてないわけではないが、考えたところで今を生きるので精一杯だと思ってしまう。
母親が寝たきりになり、父親が介護をしている。
言わいる高齢者介護だ。
年齢も年齢だけに、イメージしたくないのだが、電話がくるたびにドキッとしてしまう。
☆☆☆
人は誰でも死を迎える。
早いか遅いかはわからない。自分も運命的に明日死を迎えるかもしれない。
やはりこればかりは神様にゆだねるほかない。
死とは何なのか?
脳からの伝達ができなくなり、体の機能がしなくなったことなのか。
そもそも体の機能が麻痺してしまえばそれは死ではないのか。
意志を持っていれば生きていると言えるのか。
誰の基準で、誰の判断で線引きしている。
この人はもう死んでいる。まだ生きる!
死とは何なのか。
肉体は滅び、魂が天の国へ行くといわれている。
誰かそれを見たのか。
わからない。ただ見て信じるより、見ないで信じる人にはなりたい。
話はそれたが、天の国にいくのであれば今生きているこの生の時間は何なのだろうか?
何の意味があるのだろうか?
人生一度きり。確かに一度きりだ、その一度を楽しむために生きているのだろうか。
お金を稼ぎ楽しい生活をするために生きているのか。
楽になりたいから、苦しい仕事をするのか。
楽しいことをして、辛いことから逃げるのか。
答えは見つかっていないが、死を考えることで何のために生きているのかを模索出来る。
いまを生きる中でとても大切なことなのかもしれない。