見出し画像

#9 ニュージーランド蹴破り日記その1-8

 一〇月六日、オアマルに来た。クライストチャーチから南方へ、三時間半走った。
 この土地では「オアマルストーン」と呼ばれる石灰岩がよく採れるそうだ。ずっしりした石造りの白い建物が並んでいる。宿の前の坂を下ると、五分とかからず海岸に出た。振り返ると、町全体が山の斜面に拓かれている。少し神戸に似ている気がする。
 カフェでフラットホワイトを飲みながら、ブルーペンギンにどのように会うかを考えた。このまま海沿いに十分ほど歩くと、ブルーペンギンのコロニーの保護施設がある。四十三ドルのツアーに参加すれば、巣へ帰るペンギンの群れが見られるらしい。しかしツアーに参加せずとも、付近の路上で、ペタペタ歩くペンギンに遭遇できることも、よくあるらしい。ツアーに参加するべきか、否か。
 考えた末、参加することにした。わんさか群れている、大量のペンギンを見たい。仮に「四十三ドル払って参加することもなかった」と思ったとしても、それは意義のある経験である。よし、参加を申し込みに行こう。
 カフェを出ると大きな遊具がたくさんあって、子供たちでにぎわっていた。そしてなんと、ここでも「象さん公園」を見つけてしまった。クライストチャーチで見たような、象を模した、しかし手順通りに遊ぶ上では象さんが登場しない遊具を発見したのだ。
 今度の象さんは、より一層写実的だ。黒が濃いグレーの肌には、深い皺がたくさん刻まれている。なぜか眼帯や鞍のようなものを付けて、戦闘性まで備えてしまっている。
 クライストチャーチの象さんと違うのは、左側の階段をのぼった後に右側から降りるのが、スロープではなくまっすぐな棒であることだ。「滑り棒」とでも言うのだろうか。これなら滑り降りるときに、象さんの右腹にタッチすることができる。象さんの存在意義がより大きいと言えるかもしれない。

 ブルーペンギンは、日の出とともに海へ出て、日の入りとともに巣へ帰る。今日の日没は七時五十分頃だ。ツアーは七時四十五分に開始すると案内された。
 しかし日没の一時間前くらいには、巣へ帰るペンギンが少しずつ現れるらしい。やはり、道路を渡るペンギン様も見たい。私は六時半前から、施設の周辺をうろうろしながら、ペンギン様を探した。いつ現れるかとワクワクした。
 しかし、ペンギン様は現れなかった。時間が早すぎるのか、それとも路上に現れることはそう多くないのだろうか。あきらめて施設に入った。
 観察台は、海に面した崖の中腹に、二か所設置されている。巣がたくさん集まった場所のすぐ傍にあるのが「プレミアム」。そこから巣を挟んで反対側に、十メートルほど離れているのが「スタンダード」だ。私はスタンダードの観察台で、七時半頃に席に着いた。
 まず、アシカがごろごろいる。十頭以上寝転がっている。
 そしてアシカの合間、崖の下のほうに、ペンギン様は、いた。五、六羽の小さい集団だ。羽が濡れてつやつやしている。大きな波をざぶんと被っても、ケロッとしている。みんな小さい。横に並ぶアカハシギンカモメと同じくらいの大きさだ。ブルーペンギンは、最も体の小さいペンギンだ。
 ペンギンたちは、崖を上っては停止し、あたりの様子を伺い、また崖を上り、という行動を繰り返した。そしてようやく、巣の入り口から三メートルほどのところまで来ると、加速し、吸い込まれるように、巣の中へ入っていった。
 その後もペンギン様は続々と現れた。八時を過ぎると、数十羽の規模の群れが崖を上るようになった。皆、プレミアム席のそばの入り口に吸い込まれていく。どうしてもこちらからは遠く感じる。
「二十ドル少々の差なら、プレミアムにすればよかっただろうか」
 と思っていたとき、数羽の群れが、崖を上って向かってきた。こちら側にも小さな巣があったのだ。
 ペンギン様が近づいてくる。観察台の柵のそばまで来ると、また停止する。柵の下から顔を出したり、ひっこめたり、別の穴に替えて顔を出したりながら、こちらの様子を伺っている。
 一羽が柵の下をくぐって、姿を現した。すると、残りのペンギンたちもあとに続いて現れた。ここまで来たらもう止まらない。体を大きく前に傾け、左右の足を交互に動かして、吸い込まれるように巣へ入った。
 その時、一羽だけまだ柵の向こうにいるのに気が付いた。他のペンギンたちが帰ってしまったことなど全く気にしていない様子だ。芝生の上を歩き回ったのち、悠長に柵の下に体を潜り込ませて、こちらにきた。
 ペタペタと足を動かして、巣とは反対の方向へ歩いていく。私の目の前、二メートルほどのところを、右から左へ通過した。私は、
「かーわーいー!」
 と声に出さずに叫んだ。口をずっと「か」の形に開いていた。
 ペタペタ。ペタペタ。歩く姿は、プルプルと震えているようだ。お腹の曲線、お尻の丸みがなんとも可愛らしい。体を前に傾け、嘴を上げたり下げたりしている。その姿勢はひらがなの「つ」みたいだ。
 ペンギンは、息を殺して見つめている大勢の人間などまるで存在しないみたいに、ただペタペタと歩きながら、芝生の奥の暗闇へ消えた。

 その後も、ペンギンは絶えず崖の下のほうに現れ、停止し、進み、巣へ帰っていった。一度巣に入ったのに、なぜかまた出てきてうろちょろするものもいた。プレミアム席近くの巣へ帰るペンギンが圧倒的に多かったが、こちら側へ来る小さな群れも、ぽつりぽつりとあった。また、群れを無視して芝生へ行ったり来たりするペンギンも数羽いた。私はそのたびに、ペンギンが目の前を行き来するのを眺めることができた。
 巣に帰ったり暗闇へ消えたりしたペンギンは、よく鳴いた。周囲を警戒しつつ崖を上る時とは違った。「ぴゅーん」という鳴き声が、すっかり暗くなった海岸の上を飛び交っていた。
 九時半近くに施設を出た。群れで巣に帰る姿も、目の前を歩く姿も見ることができた。大満足だ。楽しかったな。そう思って歩き出したときだ。
 ペンギン様は、路上にもいらっしゃった。
「いらっしゃるじゃないか!」
 海から上がってきたばかりの、あるいは、道路へ出ようと様子を伺っているペンギンを、十羽ほど見た。
 オアマルでは、ペンギンに会うことができる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?