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#19 ニュージーランド蹴破り日記その2-5

 テ・アナウの次は「インバーカーギル」に来た。ずいぶん南へ来たものだ。インバーカーギルは、南島の最南端にある街だ。
 昼頃に着いて車を降りると、風が強くて寒かった。時々小雨が降った。ところどころに八重桜が咲いていた。南へ進むと、なかなか季節が進まない。
 クイーンズガーデンという大きな公園には、鳥がたくさんいた。トゥイもいた。街では赤レンガ造りの建物をよく見た。赤レンガと、白や黒の石を組み合わせて、曲線や凹凸を描いていた。
 しかしインバーカーギルへ来たのは、明日の出発の中継地とするためなのだ。明日は長い一日になりそうだ。
 明日、私は「スチュアート島」に行く。そこでキーウィを見る。

 スチュアート島は、ニュージーランドで一番南の有人島だ。マオリ語で「ラキウラ」という。島の約八十五パーセントが「ラキウラ国立公園」に指定されている。「オーバン」という小さな街を出れば、固有の自然が広がっているらしい。
 朝八時半に出て、隣の街「ブラフ」へ移動し、フェリー乗り場の駐車場に車を停めた。スチュアート島に車を持っていくことはできない。愛車「赤レンジャー」は、しばらくここで留守番だ。
 三十分ほど待って、フェリーに乗り込んだ。思っていたより小さな船だ。そして思っていたより速いスピードで、勢いよく海へ漕ぎだした。
 動き始めて驚いた。縦揺れが大きい。デッキに立っていると、揺れるたびにジャンプしそうになる。こんなに揺れると思わなかった。しかし考えてみれば当然だ。巨大な駐車場を備えた、鹿児島市と桜島を結ぶようなフェリーとは違うのだ。
 あまりの揺れに危険を感じ、色々な場所につかまりながら、どうにか船内の一番近い席についた。この先一時間、平静でいられると思えない。酔い止め薬「アネロン」を飲み込み、イヤホンを耳に突っ込んで音楽を聴き始めた。どちらも船酔い対策だ。しかしアネロンが効き始めるには時間がいる。音楽でつなぐにも限界がある。アネロンが先か、揺れが先か。
 椅子に座って見ていると、船が縦のみでなく横にも大きく揺れているのが分かる。いや、こんな風に揺れを直視してはいけない。遠くを見よう。しかし窓の外に目も向けてもぐらぐらの水平線が広がるばかりだ。あ、急に暑くなってきた。ジャケットとフリースを脱いで半袖になった。急にお腹もごろごろしてきた。あ、ちょっと気が遠くなってきた。
 完全に具合がおかしくなった私は、だらしのない姿で椅子にもたれかかりながら、朦朧とする意識でアネロンの効用を待った。逆転劇を祈った。酔ってからでも効くのがアネロンだ。
 あれ、なんだか意識が戻ってきたぞ。気分もすっきりしたようだ。寒さの感覚も戻ってきた。フリースとジャケットを着直した。少し眠たいが、これもまたアネロンが効いた証拠だ。
 こうしてアネロンは、フェリーの揺れに勝った。私はアネロンをたまたま二錠持っていたことに、すなわち帰りもアネロンを飲めることに、心の底から安堵した。旅の道中、時にパスポートより大切なのはアネロンだ。
 うとうとしながら揺られていたら、いつの間にかスチュアート島に着いた。正面には、緑の中に点々と家が並ぶ、オーバンの街が見えた。船を降りて、ぼんやりした目であたりを見まわした。
 スチュアート島は、もこもこだった。なんてぼんやりしていたことが分かる書き様だろう。もこもこしていました。
 歩き出して足元の海をふと見下ろしたとき、突然目が覚めた。
「うわあ!」
 透明だ。水が、とてもきれいに透き通っている。よく見ると、透明なのは足元の水だけでない。海全体が、透き通っている。
「スチュアート島、来た!」
 ふんだんにエネルギーを使い、どうにか無事に上陸した。

 入り組んだ海岸線に沿って、「ホースシュー・ポイント」へ行くトラックを歩いた。始めはしばらく、車も通る道路を歩く。ここでも鳥がよく鳴いている。
 トゥイが本当にたくさんいて、賑やかなことこの上ない。これまでに見たことがある他の鳥たちも、見たことがないくらいよく鳴いている。また「ケレル」という鳩を初めて見た。お腹の部分が、エプロンを付けたように白い。
 道端の黄色い道路標識には、キーウィのシルエットが描かれている。こんな車道にキーウィが飛び出すのだろうか。わくわくしながら坂を下ると、浜辺に出た。
 砂は茶色く、海は灰色がかった青色だ。空が曇ってきた。トレッキングシューズで砂浜を歩くのが初めてで、少し不思議な気分だった。そのまま茂みへ、道を進んだ。
 草木で海が見えなくても、音はずっと聞こえていた。ぐねぐねと曲がる、しかし勾配はゆるやかな道を歩いていると、しばしば海が現れた。海は、驚くほど鮮やかな緑色であったり、黄緑がかった藍色であったり、明るいエメラルドグリーンであったりした。同じ色に見えることがなかった。
 そして崖から見下ろすと、海の面積がとても大きく見えた。左右を崖に遮られても、縦にとても長く、広く見える。広大な海が姿を現したり消したりを繰り返す、木の茂る道を歩いていると、
「自分は今、もこもこの中にいるのだ」
 とよく分かった。
 二時間ほどでホースシュー・ポイントに着いた。そこで初めて、ぐるりと海を見渡した。海は藍色で、縦にも横にも、とても大きい。水平線に、薄く平たい島がたくさんある。左右には、へこんだ形の、緑に覆われた海岸が続いていた。
 終着点は、ホースシュー・ポイントから小さく見えた浜辺だった。そしてその浜は、銀色だった。白っぽい砂の中に、黒く輝く砂が波のような模様を描いていた。銀色の砂浜は、灰色がかった青色の海と、ひと続きに見えた。

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