#47 ニュージーランド蹴破り日記その3-19
早いもので、大晦日である。
天気は不安定だったが、ありがたいことに休みをもらえたので、山へ行こうとした。すると赤レンジャーが動かない。「バッテリーが上がる」という事態に、初めて遭遇した。バックドアが閉まっていなかったようだ。ありがたいことにブレットがなんでもできるので、赤レンジャーは復活した。タスマン湖まで行ってみた。霧と小雨の中で、景色は一層荒涼として美しかった。しかし霧と小雨の中なので五分と滞在しなかった。
帰ってから、みんなが仕事へ出かけてしまった家の掃除をした。大掃除である。しかし「念入りな掃除」というもののやり方を知らない私の大掃除は、三十分ほどで終わってしまった。夕方には、明日に備えてごはんを炊いて、おにぎりを作った。明日はミューラー・ハットに行くのだ。
その後も、ロニーとナーティがアルゼンチン料理「エンパナーダ」を大量に作るのを眺めたり、コウダイと一緒に競艇のレース中継を見たり、ロニーが牧羊犬と格闘するのを眺めたりした。冒険を重ねたこの一年の最後の日は、いつもの休日のように、なんならいつもの休日より平穏に、ゆったりと過ぎた。
今年も残り三十分を切ったころから、コウダイと年越しそばを作った。乾麺を茹でて、お湯で割ったつゆをかけて、葱と鰹節とわさびを添えた。つゆを一口飲んだコウダイが、
「日本だ!」
と言った。器を持ち上げてつゆを飲むと確かに、その香りに、味に、「日本」を感じた。そして、年の瀬の感慨がようやく押し寄せた。
「今年はたくさん冒険をした。来年も冒険したい。一生冒険していたい!」
などと話していたら、いつの間にか年が明けていた。しかし焦ることもなければ、盛り上がることもなく、互いにゆっくりとつゆを飲み干した。そして、めんつゆやわさびを冷蔵庫に片付けながら、
「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。」
と互いにぼそぼそ言い合った。あまり締まりのない年越しであった。
そばを食べ終わって一息ついてから、私は靴を履き替えた。コウダイは、先ほど新年のあいさつをした時とは打って変わったような、はつらつとした笑顔で、
「気を付けてね。楽しんでおいで!」
と言った。そして私はミューラー・ハットへ向かった。
一時頃から歩き始めた。空には星がよく出ていた。月は見えないが、マウント・セフトンの氷河が灰色に光っていた。コウダイが貸してくれたヘッドライトを付けて、白い息を吐きながら歩いた。大晦日の昼、ミューラー・ハットでは雪が降ったそうだ。
途中のシーリー・ターンズまでの階段を半分ほど上ったかと思われたころ、月が突然現れた。満月から四日が経って、少し削られたような形をしていた。月の光が加わると、道が少しだけ明るく、歩きやすくなった気がした。
二時頃、シーリー・ターンズに着いた。立ち止まった瞬間、全身が冷たい空気に包まれた。そこで初めてライトを消した。月の光が、マウント・クックの氷河と二つの湖を、暗い灰色に照らしていた。月は、四日前よりも高い軌道を描くように動いていた。あまりに空気が冷たいので、すぐに再び歩き始めた。
ミューラー・ハットへの道のりは険しいが、見出すのが難しいものではない。ほぼ常に目印が視野に入るよう、ポールが設置されている。考えなければならないのは、どこを踏んでそちらへ行くか、だ。とはいえ、今日はポールも見えづらい。そして、昼間でも注意が必要な岩場を、ライトの明かりで上らねばならない。いつものようには進めなかった。
たびたび立ち止まって、どちらへ行こうか考えた。時にスマホで明かりを足しながら、道の先の様子を確認したり、ポールを探したりした。途中、わずかにルートを外れて引き返すこともあった。ほとんどの場所が、初めて通る道のように見えた。
長い傾斜を上り切った三時半頃、突然の極寒に襲われた。これまでと桁違いに、空気が冷たい。向こうの山の上から吹く風も強い。慌てて、これまたコウダイが貸してくれた、コンパクトに収納できる山用のフリースとダウンを着用した。手袋もつけて、ほぼフル装備になってしまった。岩を渡って、四時十五分頃、ミューラー・ハットにたどり着いた。
誰もいない真っ暗なキッチンで休息をとった。ネックウォーマーを着用し、四つ持ってきたうち一つのおにぎりを食べた。ゴーゴーと風が鳴っている。そして四時半頃、いつも腰かける場所へ向けて山小屋を出た。
その時すでに南東の空は、下から濃い赤に染まっていた。まだ夜の色をした、空の高いところへ向けて、色とりどりの鮮やかなグラデーションができていた。
約二十分後にいつもの岩まで上りきると、空はより明るくなっていた。高いところには星があるし、マウント・セフトンの上空には、明るい月が浮かんでいる。しかしそれはもう、「朝の空」だと思われた。
そこから約一時間、空は、刻一刻と色を変えた。黄金のようなオレンジ色の光や、ひたすらに赤い光が、縦横に伸びたり、動いたりした。山の上、空の低い位置にある横長の雲が、徐々に赤く染まっていった。自分の手元や足元も、何かの拍子に突然明るさを増す、ということが度々あった。ちょっと脇に目をやったり、瞬きをしたりするだけで、空の色が変わっていることもよくあった。
日の出の五時五十四分が近づくと、太陽がどこから顔を出そうとしているか分かった。そこから山の斜面を下る、無数の光の線が放たれた。そのすぐ上の雲は、燃えるように赤く染められた。やがてその雲と山の間は、オレンジ色の輝きで満たされた。
空の次は、山が、赤く燃えた。マウント・セフトンが、背後の山が、そしてマウント・クックの東側面が、その上空に漂う雲が、優しくも力強くもあるような美しい赤に、堂々と染まって見せた。
夜から朝になるところを、こんな風に見たことはなかった。朝がどのようにやってくるのか、私は今まで知らなかった。この日何度も、そう思った。
昼頃シーリー・ターンズで、最後のおにぎりを食べた。何度見ても見事な構図の景色を眺めていたとき、突然、口をついて出た。
「楽しかったなー!」
新しい年は、楽しい冒険で幕を開けた。