#32 ニュージーランド蹴破り日記その3-4
二日目、「ホエールウォッチング」をした。そう、クジラを見に行った。
ホエールウォッチングのツアーはカイコウラ観光の目玉だが、私はもとから参加を決めていたわけではなかった。値段が高いし、船の揺れも大きいだろうし、そのうち誰かと来そうな気もするし、何より、キーウィやペンギンほどに「見たい」という気持ちがわかなかった。前日の夜に、なんとなく決めた。
ツアーは午後からだった。午前中は歩きながら海を眺めた。カイコウラの浜辺は途切れることがなく、どこまでも歩いて行けそうだ。浜は、黒や灰色の石ころでできている。足がずぼずぼ沈むので、案外歩くのが大変だった。
浜辺で海を見ていると、また眠たくなった。カイコウラの海と日差しには、人の眠気を誘うものでも含まれているのだろうか。
小石の浜辺に仰向けになり、顔に帽子を被せて、少し寝た。日差しが、服を通しても強かった。小石をさらう波の音が、少しだけ高く響いていた。
ホエールウォッチングのツアーでは、九十五パーセントの確率でマッコウクジラが見られるらしい。マッコウクジラは、海の深いところに約四十分間潜った後、数分間だけ、海面近くへ上がってくる。私たちは、この海面近くに上がったところを見る。
ツアーにはたくさんの参加者がいた。バスで近くの港へ移動し、専用の船に乗り込んだ。各座席には、異様に数の多いエチケット袋が備えられている。一体どれだけ揺れるのかと恐れおののいたが、動き出してみると、スチュアート島のフェリーよりも軽い揺れだった。
海底に深い割れ目がある地形の特殊性や、マッコウクジラの生態についての解説を聞きながら、船はしばらく、沖へ進んだ。そして突然、「右にいるよー」という案内とともに、動きを止めた。皆いそいそとデッキに出た。
船の右側、少し先の海面に、灰色の小さな島が浮かんでいる。島の上には、ややつぶれた形の、分厚い三角形が乗っている。島はゆらゆら揺れて、面積が大きくなったり小さくなったりする。それがクジラの背中であることを確信するには、少し時間が必要だった。
しばらくすると、頭らしきものが姿を現した。出っ張った形が特徴的な、マッコウクジラの額を見ても、私にはその大きさの実感がわかなかった。自分がどれくらい離れた場所にいるのかも、よく分からなかった。その距離は十メートルにも、三十メートルにも感じられた。
クジラは額から、十秒や二十秒くらいの間隔で、斜め前方に潮を吹いた。
「クジラが潮を吹くと、とても大きな音がする」
と聞いたことがあるが、その音もなんだかよく分からなかった。
すると、ゆらゆら揺れる灰色の島に変化が起きた。頭がむくりと、少しだが確かに上へ持ち上がった。その動きは流れるように背へ伝わった。三角形の背びれが根ざす、背中のゆるやかな曲線が見えた。肌はつややかに光っていたが、皺がたくさん刻まれて、萎れているかのようだった。
そしてゆったりとした動きの流れを汲むように、クジラの尾ひれが現れた。細いしっぽの先にあるヒレは、ゆっくりと花が咲くように、上を向いて左右に大きく広がった。
そして一瞬も止まることなく、海の底へと静かに潜って、姿を消した。
その後もオットセイや、イルカの群れを見た。泳いでいるオットセイは、陸での姿からは想像できないほど軽い身のこなしで、くるくる回りながら魚の捕獲に励んでいた。イルカの群れは、
「このあたりに二百や三百はいるのではないか」
というくらい、うじゃうじゃいた。そして、
「どうしてそんなに跳ねるのですか?」
と聞きたくなるくらい、ひたすらぴょんぴょん跳ねていた。
一頭で跳ねることもあれば、縦や横に並んで、二頭や十頭くらいで跳ねることもあった。身体が半分出るくらいの高さで跳ねることもあれば、全身が宙に浮くほど高く跳ねることもあった。一回だけ跳ねることもあれば、連続して何回も跳ねることもあったし、まっすぐ着水することもあれば、ダイナミックに身体をひねって着水することもあった。
イルカの頭には、きれいに丸い、大きな穴が開いている。穴が海面から出る瞬間には、「プシュッ」と清々しい音がする。そして着水するとき、腹や尾ひれが海面に打ち付けられると、「バシャンッ」と大きな音がする。
イルカは、船のそばまで平気で寄ってきた。動きはすいすいと軽そうで、すばしっこかった。「イルカと一緒に泳ぐツアー」というのもあるそうだけど、スピードに付いて行けるだろうか。
イルカは本当にたくさんいて、近くで繰り返し見ることができた。しかしそれよりも「よく見た」と思うのは、一頭のマッコウクジラの、優雅な曲線と動作の一部分だった。