#77 ニュージーランド蹴破り日記その6-2
ひさしぶりに、ミューラー・ハットに行った。数日前に行ったルークとカロが、「けっこう雪が積もっていた」と言うので、ブレットにクランポンとアックスを貸してもらった。
二時間半で着くミューラー・ハットにはもう余裕で行けるような気になっていたが、上り続ける二時間半というのは、やはり楽ではないものだ。それでも荷物は軽く感じた。色々な新兵器を詰めてきたので、それなりに重量があるはずだけど、さほど重いと思わなかった。
途中のシーリー・ターンズを過ぎると、ちらほら雪を見るようになった。雪の量は徐々に増えた。避けて歩けない場所も見るようになった。それでも靴にクランポンを着けるほどではない。アックスをざくざく刺しながら雪の感触を確かめた。
サクッと刺さる、柔らかい雪は、靴でサクッと踏むだけだ。しかし時々、ザクっと刺さる、硬い雪がある。普通に踏むとツルっと滑る。アックスで足場を作ったりしながら、慎重に足を乗せねばならない。
足元に注意を払いながら登っていくと、ミューラー・ハットがある平地に着いた。そこは一面、白い雪に覆われていた。石や岩が顔を出すほどの、さほど深くはない雪だけど、確かにそれは雪景色だった。
「いつの間にか、こんなに雪が増えたんだなあ」
初めて来たのは、夏の初めの頃だった。最後に来たのは、夏の終わりの頃だった。新しい場所に行かなくても、景色は日に日に新しくなる。
私はその日、テントを持っていた。夜に雪が降り、翌朝の気温がマイナス七度になる予報を見ても諦められなかった。私はテントに入るのが好きなのだ。とりあえず寝てみて、無理だと思ったら山小屋に避難すればいい。それが今回、ミューラー・ハットを選んだ一番の理由だ。
どこか立てられそうな場所はないかと探しても、一面雪に覆われている。立てるならまず雪かきをする必要があるだろう。しかしどのテントスポットを見ても、積まれた石の壁とさほど変わらぬ高さまで、しっかり雪が積もっている。
「テントは、やめよう」
こうして私のテントシーズンは、あっさりと終わりを迎えた。
ブレットは、ミューラー・ハットには人の少ない冬の時期にしか行かないそうだ。そして人の少ない山小屋には泊まらず、一人でテントに泊まるそうだ。テントの中で一人、寝袋や毛布でぐるぐる巻かれているブレットの姿が目に浮かぶ。口髭の下で、にやりと笑っているに違いない。
山小屋の中に寝袋を広げて場所を確保し、日の入りまでたっぷりある時間を、外の岩場の上で過ごした。そこへ行く足取りも慎重だった。以前は毎回ここから朝焼けを見ていたけれど、日の出前にここを上るのは、そのうち難しくなるのかもしれない。
上でも雪は積もっている。雪の中にビールを突っ込み、ほぼフル装備の防寒具を身に着けた。晴天の日中でありながら、空気がきゅっと冷たかった。山に囲まれる気持ちを数時間楽しみ、再び慎重に山小屋へ下りた。
山小屋から少し離れた場所で、夕飯を食べながら夕焼けを眺めた。新兵器の一つは、キャンプ用のガスバーナーだ。お湯を沸かしてインスタント味噌汁を作った。山で温かい味噌汁が飲めるとは、なんと素晴らしいことか。おにぎりも喜んでいる。食事のあとには、粉末のホットチョコレートも飲んだ。
西の空に現れた雲が黄色く光るのを見ていたら、空全体に大きな雲が漂い始めた。山小屋がある平地の先、目線より低い位置にも雲がある。
気付けば、明るい空が見えるのは、西の山際の、雲のわずかな隙間のみになっていた。その隙間から光が差し、上にある雲と下にある山を、オレンジ色に染めていた。さらに上空にある雲は、暗くて重い灰色だった。
「本当に、降るんだ」
雪が降るとは思えないくらい、すっきりとした晴天だった。雪の降る夜が、これから本当に始まるようだ。
山小屋に入ると、屋内にいる安心感がほんのり湧いた。その日泊まるのは六人だった。少し前まで、二十人以上泊まれる部屋が常にいっぱいであったのに。
寝る前に少しだけ外に出た。雪は本当に降っていた。細かい粒が、吹き付けるようだ。その晩は、テントで寝るときと同じくらいの防寒具を着て眠りについた。新兵器の「ダウンパンツ」と「こたつソックス」が暖かかった。十時間近く寝て、目が覚めた。
東の山際にオレンジ色の空が見えるが、まだ暗い。それでもあたりに雪の積もっているのが分かる。目の前の平地に、白い絨毯が敷かれている。その中から、岩がポコポコと顔を出している。
テラスにあるタンクから水を汲もうとしたら、蛇口が凍っていた。元々持っていた水を、自分のガスバーナーの火にかけた。沸くのを待つうちに、ベンチに置いたペットボトルやリンゴが凍っていた。そして手元がはっきり見えるくらいに明るくなった。
目の前の平地に、白い絨毯が敷かれている。その中から、岩がポコポコと顔を出している。平地の先では、目線よりも低い位置に雲がある。近くの山も、遠くの山も、雲から顔を出している。一面に広がるのは、白い海だ。そこにたくさんの島が浮かぶようだ。
東のオレンジ色の空は、だんだん明るく、広くなった。景色に明るさが増し、山の白さがはっきりわかる。白く細い線が、無数に走る。この山にこんな凹凸があることを、初めて教えられるようだ。
空のオレンジ色が穏やかになると、山が燃え出す時がきた。マウント・セフトンの頂から、ゆっくりと流れ下るように、淡い赤色が伸びていく。真っ白な山に映る朝焼けは、いつにもまして柔らかく、赤々としている。
たまらず、テラスの階段を下りた。平地の上に足を踏み出した。
「ふかふか!」
靴がふわりと沈み込んだ。
「ふかふか! ふかふか!」
いつもは足場を選びながら歩く石の上なのに、真っ白な絨毯の上を、どこでも行ける。
「ふかふか!!」
これが、新雪の喜び。
平地のへりに着くと、その先にあった雲はすっかり消えて、晴れ渡っていた。マウント・クックの足元まで、そして南方に連なるボール・パスやウェイクフィールドまで一望できる。その山々は麓まで細かく白く、背後から差す光の下で、青く冷たく輝いている。
マウント・セフトンに映る赤が、裾まで伸びた。東の山の背後から、強い光の一粒が昇った。細かく白い山々は、強く細く差す光とともに、新しい色に輝きだした。
「朝だー!!」
これが、今日の始まり。新しい季節、冬の始まり。