#35 ニュージーランド蹴破り日記その3-7
雲一つない晴天だった。そして私は休日だった。「ミューラー・ハット」に行った。
ミューラー・ハットへは、「フッカー・バレー・トラック」と同じスタート地点から、「フッカー・バレー・トラック」と反対の方向へ、ひたすら上る。本当は、「とてもきれいな夕焼けや朝焼けが見られる」と聞いたので、その山小屋に宿泊してみたいと思っていた。しかしちょうど今の時期から夏の終わりまで、山小屋は事前予約制になるそうだ。そして予約はすでに二月初旬まで埋まっている。仕方がないので日帰りで行くことにした。出勤するみんなが起きだすよりも早く家を出て、八時過ぎに歩き始めた。
はじめは階段を上り続けた。日差しを遮るような木はない。かなりの体力が必要だった。しかし、横を見やればマウント・クックや、麓のフッカー湖や、その手前のミューラー湖を眺めることができる。途中、小休止の度に抜いたり抜かれたりしていた、ひげの立派な男性と、
「この道は非常につらい。ミューラー・ハットまで行けるか分からない。しかしすでに十分きれいだね」
と共感しあった。
一時間ほどで階段を上りきると「シーリー・ターンズ」に着いた。そこは、フッカー・バレー・トラックから見た山々や湖や川を、最も美しい配置で、一目に収めることのできる場所だった。コース中に渡る三つの吊り橋も見えた。
マウント・クックを覆う氷河は、まだ低い位置にある日の光を受け、ひんやりとした白や水色に光っていた。灰色がかった緑色のフッカー湖から流れる川は、同じ色をしたミューラー湖に注ぎ込む。二つの湖の間には、高い段差がある。その崖の表面は灰色で、滑らかだ。湖と崖が、マウント・クックの舞台を作るようだった。
行く先を見上げると、「道を歩く」というよりも「石や岩の上を渡る」というのがふさわしいような上り坂であった。若干怖気つきながら上り始めると、案外足場が安定していて歩きやすかった。ところどころ手を付いたり、腕で身体を持ち上げたりしながら進んでいく。階段を上り続けるより、よっぽど辛くないようだ。時折、近くの「マウント・セフトン」から、氷河が崩れる音がした。雨が降る前の雷にも似た、しかしもっと静かな、「ゴゴゴゴゴ・・・」という音が響いていた。
しばらく登ると、ところどころ雪が積もるのを見るようになった。そしてついに、道の上にも雪が現れた。急な、広い傾斜が、眩しい白に覆われている。周りには山用の杖のような道具を持つ人が多い。しかし私のように丸腰で臨む人も、いなくはない。ここまで来たら、行くしかない。気合を入れて上り始めたら、人の足跡が小さな階段になっていて歩きやすかった。そして積雪の斜面を突破すると、マウント・セフトンが目の前に迫っていた。
マウント・セフトンの岩肌は、巨大な象のように、灰色で、細かい皺が刻まれている。その姿は、どこをとってもでこぼこしていて、決して端麗な形ではない。しかし、大胆にまとった氷河の下では、その肌も姿も美しい。
氷河の分厚い断面や、渦を巻くような表面は、白く眩しく、すべてを切り裂きそうなほど鋭い。岩の色は、白の隣でしんと静かで、細かい皺は、多くの氷や水を通してきたことを思わせる。この山においては、荒々しいものが美しい。
その先にも道は続く。岩に手を付きながら進んで行くと、一面に積もった、眩しい雪の上に出た。そしてその奥に、小さな、赤い、四角い建物が見えた。写真で見せてもらった山小屋だった。初夏になってもなお、春先と同じ姿をしていた。
山小屋の背後の岩場をさらに上った。決まったルートはなかった。どこを通れば、どこに手を置けばより高い位置へ行けるか考えながら、ただ上った。それ以上高い位置に転がる岩がないところまで来ると、あたりにはほとんど人もなく、ただ、荒涼とした美しい山々に四方を囲われた。
マウント・クックはその朝以降、最も多くの日の光を受け、反射していた。マウント・セフトンも、遠くに続く山脈も、それまで見えなかった背後の山も、すべて氷河に覆われていた。足元には、燦燦と光を浴びながら雪が積もっていた。すべての白が、眩しかった。フッカー湖やミューラー湖から流れ出た川は、ゆらゆらと蛇行しながら遠くへ続いていた。そしてその先で、明るく青い、プカキ湖に合流した。
マウント・クックも、マウント・セフトンも、みんな、山に囲まれている。私も、山に囲まれている。
あまりの眩しさに少し疲れたので、平らな岩の上に仰向けになった。顔に帽子を被せてもまだ眩しかった。日に当たってカラカラに乾いた岩は、背中や腰に当たると冷たかった。そこでは、鳥の声もなかった。風や川のような音と、数分置きに訪れる、どこかで氷河が崩れ落ちる音だけが聞こえた。
夕方、プカキ湖の岸辺に行った。水面がとても静かで、対岸の山や、マウント・クックや、空の雲や、通過する鳥の姿を、鏡のように映していた。私は岩の間に挟まりながら、二時間くらいぼんやりした。だんだん水面に波が立って、山や雲は映らなくなった。
私は今、好きな山と、湖のそばで暮らしている。