振り返り1-離婚とままごと

毎日文章を残していくのは難しいから、週1つ書いていこうと密かに決めて細々続けています。『似たようなこと書いているなぁー』と思いながら書いていますが、約半年続けて自分の心境や環境に変化が生まれ、前に書いた記事を違う気持ちで読めるようになりました。そこで

「昔の記事も今読んだら違うものになるかも」

ということで、昔の記事の焼き直しをしていこうと思います。はじめは『「愛情」とは~離婚とままごと』です。

小さいころ愛情を体感できていないから、自分も表現ができてないみたいなことを書きたかった記事です。そして子供に合わせた表現ができないから子供と一緒に遊ぶこと(ままごと)などができないことを書きました。もうすぐ50というのに、いまだに精神がお子様なところがあります。最近小さいころの愛情に飢えていたことを認めることができて考え方も変わってきました。認めることが正しいかどうかはわかりません。変な肯定感で人として間違った考え方になっているかもしれません。そんなこともひっくるめて、考えに固執せずにフレキシブルにいければなと思います。

今考えると、私なりの子供に対しての愛情は、一人立ちするまで、生活するためのお金の心配をさせず、今後一人で生きていけるための経験や考え方を教えることでした。小さいときは淋しい思いをさせたと思います。ですから娘と”仲良し”ではありません。そして彼女は今、家から外に出ることを望んでいます。それで構わないと思います。まぁ、食事時などは会話があるし、お互い一歩引いた関係なので、いいのかなと思ってます。あくまでも、今になってみてですが。息子については、今、過渡期なのでもう少ししたら対応の仕方も変わってくるように感じています。今は様子見ですね。

離婚については、あまり考えは変わっていなくて、自分優先の発言が相手を傷つけ、そこから二人の距離は離れていったので、初めのきっかけは私です。そこから修復することができなかったのも自分優先の考え方を改められなかったからです。相手の方に思うことは多々ありますが、子供の前で絶対悪くは言わないと誓っていました。ただ、子供がたまに発する言葉を鑑みると、私から言葉は発していなくても態度で何となく察するものがあったようで、気をたくさん使わせてしまいました。今子供たちとお父さんの関係は、私がどうこうすることではなく、各々勝手にしています。今のご時世、東京と地方が行き来するのが難しいのでしばらく会うことができないのは申し訳なく思います。

自分自身今は大分気持ちが楽になりました。余裕ができると考えることも変わっていきますね。具体的には表現できないのですが。

振り返ってみても書くことは変わってない感じですね。いろいろなことを受け入れて、言葉の棘を誰かに突き刺すのではなく、風船を渡せるようになりたいなと思います。