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【ロンドンへの挑戦】バーテンダーを始めたきっかけ

はじめまして、安部直柔(アベ ナオナリ)です。
クリエイティブ スタジオ=株式会社andSupplyが運営する、代々木公園『nephew』のバーマネージャー兼バーテンダーを務めています。
初投稿ではありますが、現在の勤め先を2021年12月末日で退社します。

(オープン当初の写真)

退社というのも、タイトルに書いてあるロンドンへバーテンダーとして挑戦する為です。
イギリスのYMSという制度を利用して、2年間イギリスで仕事ができるビザを取得することができ、2022年の3月からイギリス=ロンドンへ向かいます。


ロンドン挑戦への記録や自身のことなどを発信をする媒体として、noteへの投稿を始めることにしました!


『何故、ロンドン行くのか?』
周りからそんな声をかけられます。
理由は単純でバーテンダーを始めたきっかけが、海外で仕事をして生活できる職業だと思ったからです。

海外への憧れは、小学生から観ていた海外サッカーや音楽番組など色んなきっかけはあります。それを1番リアルに感じたのは20歳の頃、短い期間ですがバックパッカーの経験をしたことで『いつか海外で仕事をして生活をしてみたい』という思いを強くいだくようになりました。そして29歳となり、ついに念願の海外へ挑戦するチャンスが巡ってきたのです。

バーテンダー業との出会いは、25歳(飲食業が本業になったのもこの頃)
新宿2丁目のスナックみたいなバーに勤めたことから始まります。
ん?新宿2丁目?と思う方も多いと思いますが、お店や私自身はLGBTに括りに入っている訳ではありません。エリアとオーナー、そこに集まる人々が面白そうだから、という理由で働き始めました。
そのお店の形態でいうと、キープボトルやカラオケがあり世間的には街場のスナックのようなものです。
もちろん始めたころは、私自身バーテンダーを志すなんて考えも想像もしてませんでした。言い方は悪いですが、腰掛けの場所くらいに考えていました。
ただ、仕事に対してのサービス、ホスピタリティ、セールスなどの意欲は持っていたので、人生的な経験を重視して勤めていました。

バーテンダーを志すきっかけとなったのは、お客様の要望に応えられなかったから、、、


働き始めて数ヶ月、店長を務めていました。
(といっても、私とオーナーだけなので店長というのも肩書きだけ)
当時、初めてきたお客様から、『強いお酒が飲みたいので、コスモポリタンをいただけますか?』と言われたのですが、私はコスモポリタン?聞いたことあるけど、カクテル?となり、そもそも材料無いし、シェーカー無いし、と申し訳ありませんが作れませんとお断りしました。
その時お客様の凄く残念そうな表情にさせてしまったのが、悔しかった。
その後、材料や器具があれば、作れるじゃないか!と思い、すぐに必要なものを揃えて作ってみました。
練習で作って、自分で飲んでみた。
ただ、それが美味しいのか不味いのかさえも分かりません。教えてくれる人も特にいなかったので、他のバーやお酒のイベントに出向き、YouTubeやInstagramなどで情報を集めて勉強を始めました。
そこから徐々にバーテンダーの凄さに驚き、そして憧れるようになっていきます。
さらに、海外で活躍している日本人バーテンダーや、訪日した外国人がわざわざ訪れたくなるバーが東京に沢山あることを知って、そういったバーへ出向くようになります。そういった行動が、憧れから目標へと変化していき、この仕事なら以前から抱いていた海外へ行ける職業なのかもしれないと思うようになりました。

それから数ヶ月、2015年12月に勤めていた新宿2丁目のお店を辞めることにしました。
当時、現状の環境やバーテンディング技術では海外へは行けないし、経験値を高めないと業界で活躍できないと強烈に感じたからです。
ここからワーキングホリデーの制限である30歳までの逆算した、バーテンダー修行が始まりました。
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日本での最終経歴となるnephewへの出勤も残すところ8日間
カウントダウンへ入りました!

nephewへ参画したのも、実は社長の井澤が書いていた姉妹店LOBBYのオープンから現状を綴ったnoteを読んで共感したから。シリーズ化されてるので、時折紹介します。
是非、皆さんにも読んでいただきたい
👍

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