インターナショナリズム(国際主義)
私は「インターナショナリズム」という言葉に辿り着いた。
私がこのことを、漠然とではあるが意識し始めたのは26歳の時期、バックパッカーとして訪れたタイのサムイ島での一夜からだ。
もう30年以上前になるが、その頃のサムイ島は現在のようなリゾート地にはまだなっておらず、知る人ぞ知る穴場の島だった。プーケットのような観光地化された場所には飽き足らない、そして当時はドラッグの島として欧米人の憧れの地であったパンガン島(ディカプリオの映画『ビーチ』のモデルとなった、らしい)に近い島として、世界のバックパッカーに認知されていた島がサムイ島だ。
ともかく、その島の「エメラルドビーチ」という入江のゲストハウスで、ある夜たまたま居合わせたイギリス、ドイツ、フランスの若者と私を含めた4人でディスカッションをする機会があった。英語を媒介にして(中学生レベルの英語知識しかなかった私としてはよく話せたものだと、今も思う)それはおこなわれた。テーマはもう覚えていないが(みんな酔っ払っていたし)、その際感じたことだけは鮮明に記憶に残っている。
各国の若者の発言の背景に、それぞれの国の誇りというか何というか、祖国との強い繋がり、アイデンティティのようなものを感じたのだ。
これは私にとって新鮮な驚きだった。みんな20代の若者である。そんな彼らの発言にしっかりと国家観らしきものが見える。対して、日本人である私はどうか?自身の発言にそうしたバックボーンがないことをその時初めて知った思いがした。
そんなモヤモヤを抱えたままバンコクに帰ってきた私は(当時も今も、バンコクは世界中のバックパッカーのハブになっている。大概のバックパッカーはアジアを旅する際、この街に寄る)、ここでも記憶に残る体験を二つ、した。
これは日本人のバックパッカーに聞いた話だと思うが(例によって酔っ払っていたので曖昧だ)、世界で活躍する日本の庭師の話だった。
その庭師の老人は英語は一言も話せない。だが、日本の伝統的な作庭の技術は一流だった。だから彼は世界中から引く手数多で、世界を駆け回っているという。
そんな話ともうひとつ、こちらはカオサン通り(バックパッカーの聖地、ですね)の安レストランで同席した中年のアメリカ人に言われた言葉だ。
同席する際、何気なく「すみません、私は英語がうまく話せません」とたどたどしい英語で伝えると、彼に(もちろん英語で)「あなたは日本人だろ?英語が話せなくても恥じることは何もない」と言われた。
これも新鮮な驚きだった。もちろん、英語が話せないことを卑下していたつもりはなかったが、何気なく出てしまった言葉に正論を返されて、自身の中にある思い込みを自覚させられたのだ。
以上が26歳の頃、バックパッカー旅行で胸に刻まれたそれこそ何気ない体験だが、これらのことから、私の中で「真の国際化はローカルを体得した先にこそある」という価値観が生まれた。「何で話すんじゃない、何を話すか、だ」という言葉がある。私は自身が自覚してようとなかろうと、他国の人から見れば紛れもなく日本人だ。サムイ島のビーチで出会った若者たちは、たまたまだったかもしれないが、しっかり祖国というものを彼らなりに背負っていた気がする。そして、日本人である私が海外に出て多く望まれたのは、日本の文化に関する話題が多かったようにも思う。日本について何も知らない自分を自覚させられた旅だった。
そんな思いを抱えて今日まで来た。そしてそんな思いを表す言葉にやっと出会えた(ずいぶん時間がかかったものだ)。『インターナショナリズム(国際主義)』という言葉だ。この言葉は「グローバリズム」との対比で使われる。
「グローバリズム」は言ってみれば「世界はひとつ、人類皆兄弟」というか、国や民族の垣根はいらない、みんな一緒だ、という理想主義(ユートピアイズム)の言葉だ。対して「インターナショナリズム」は、個々の国々には異なる歴史や民族性がある。それぞれの違いを認めた上で仲良くやっていこう、という現実主義(リアリズム)の言葉だ。
世界はどうしようもなくバラバラだ。かつてニューヨークは「人種のるつぼ(混ざり合って生きている)」と呼ばれたが、現実には「人種のモザイク(人種ごとに集まって生きている)」であるという(行ったことないので)。私がグローバリズムを胡散臭いと感じてしまうのは、自身の経験からくるものが大きい。
『ダイバーシティ(多様性)』が大事だ、といわれて久しい。以上の個人的体験からも、グローバリズムよりインターナショナリズムの方がより現実的で世界が調和するには適した言葉だと強く感じる。
まずは自分の国のことをもっと知ろうよ、ということだな。