↑(この写真は某a君)*特に理由はない
素直でいたい僕と僕じゃない僕。
素直でいること、正直であること、相手と率直に誠実に向き合って、ゆっくりと考えること。
それが大切
僕が僕であるための必要十分条件。
僕が僕であるというためには絶対に必要で、
これさえあれば僕と言える。
「じゃあこれがなければ僕じゃないの?」
と聞かれれば、その僕は多分、もう一人の僕だと思う。
着飾らない、嘘をつかない、騙さない
分かってはいるけど難しい
比べない、妬まない、憎まない
分かっていたけど気にしてる
嘘に塗れた僕と、真実を知る誰か
嘘をつけない僕と、誠実を嫌う誰か
書かれた文字を読むだけじゃ分からないものがそこにはあって
書かれたものを読むことでしか分かれない自分がそこにあって
傷つきたくない自分と、傷つくのが怖い僕
恥を晒すことでしか自分を表現できなくて
恥を恥として笑う誰かも自信の中にちょっとの隙間がある。
自信のない歌声と、自由のある歌声。
自信なんて
自分なんて
自由なんて
自我なんて
あってないようなもので、いつだって壊すのは簡単
壊れないように保つので精一杯で
人の幸せを願うことが保つためのお薬だったりする。
自信がある
自分がある
自由がある
自我がある
いつだって自分はできる。だって僕だから。
僕にしかできないことをするんだ。だって自分は変わった。
ここで挫ける僕じゃないもっと広い世界は広がってる。
自己中だっていい嫌われたっていい。僕は僕を生きている。
いつの僕だろう、いつの誰かだろう
こんな思考が回ってたあの頃の脳内を探検してみた。
友達以上
1000年に1度のチャンスがそこにあったら僕はそこに飛び込むだろうか?
チャンスはチャンスだこれを逃したらもう生きているうちには来ないだろう、
でも1000年に1度のチャンスが本当に僕にとって重要なものなんだろうか
本当はチャンスって毎日の中に何回も何回もあるもので
何回だって失敗して良くて、でも何回も反省して
やっと触れそうで、触れた気になって、離れて、届かなくて、
でもまた何度でも訪れるものだと思う
いや、そういうものを僕はチャンスと呼びたい。
でもその何回も現れていたチャンスが、ある時を境に突然現れなくなったら
僕はどうするんだろうか
泣く?叫く?怒る?
いやどれをしたって気がすむわけじゃない
チャンスがもう訪れなくなったそれに変わりはない
じゃあなんでそのチャンスを掴めなかったのか?
いや違う本当はもうとっくに掴んでいた。
でも見れていなかったんだ、見ていなかったんだ、
そこにあった、そこにしかなかった、そこにあってくれていた
その物を見ていなかったんだ、
友達以上の僕という存在を。
嘘じゃない、
嘘じゃない、嘘じゃない
どんな自分だって嘘じゃない。
自分という存在が何人いたってそれら全てが自分だ、
正義の中にある悪い自分も弱さをさらけ出せない惨めな僕だ。
信じるってそう簡単なことじゃない
そう簡単に思えない
でも信じる
信じられるから信じるんじゃなくて
信じたいから信じる。
嘘、嘘、嘘
嘘で固められた自分の嘘さえもすべてを包容するくらいの大きな
うすーいうすーい何かで
全てを信じる
だから
信じたそのものは嘘じゃない。
かっこよさ。
本物のかっこよさってなんだろ
顔がいいこと?背が高いこと?なんでもできること?話がうまいこと?勉強ができること?性格がいいこと?優しいこと?思いやりがあること?
自分が自分をかっこいいと思うために必要な物、
それは素直さだと思う。
素直に見えるその姿は嘘なのかもしれない、誰かから見た自分は素直じゃないのかもしれない
でも
僕が僕を素直だと思うことを誰も否定することはできない。
かっこいいなんて人それぞれだよ、
モテる人がかっこいいのかは知らない。
でも自分のかっこよさがそこにあると思うなら、そこにかけてみるのも悪くない。
僕の存在
僕が僕でいるために僕が邪魔になるんだったら僕はいらない。
でも僕も僕が認められるくらい
僕を僕が理解してあげられるくらい
僕という存在があっていいよと思ってあげれるくらいの
自信を僕にあげたい。
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