星野源「ばらばら」が、ロックでソウルでブルースだった件
明けましておめでとうございます
クリスマス直後から、胃腸炎にかかり(もしかしたらインフルエンザだったかも)3、4日不調のフルコースを味わい、ようやく28日ごろから起き上がれるようになりました。
ゴホゴホと咳が止まらず、発熱もあったので病院に行こうかどうか迷ったのですが、さらに病気をもらってきそうだったので、なんとか家で乗り切りました。
クリスマスが終わった途端に、もうお正月。大掃除だなんだと、後ろから煽られるような感じで、テレビを見るのもしんどい。
大晦日から、正月の時間がしんどい。
おめでとうというけど、そんなの言っている気持ちになれない。
本当は、そう思っている人もたくさんいるの。
それに蓋をして、馬鹿騒ぎをしているテレビがイタい。
なんだか、「おめでたい空気」を強要されている気がする。
自分自身を振り返っても、2024年という年は、いいことばかりでもなく、
どちらかというと、しんどいことの方が多かった1年でした。
本当は、今も現在進行形だから、
新年だからって、手放しに楽しみだとか、おめでたいとか、思えないのです。
だから、お祭り騒ぎの塊みたいな、紅白って、観る気にならない。
今年は、源さんが「地獄でなぜ悪い」を歌うと最初は聞いていて、
その後のゴタゴタもあり、
その結論として楽曲が変更、「ばらばら」になった辺り、
きっと普通にはならないだろうなと思っていました。
最初から、ケチがついたというか、何というか。
すうーっと流れない時って、本当にそう。
わかるなあ。
でも、なんで「ばらばら」なのか。
あの歌詞だもの。
きっと、一筋縄ではいかないはず。
(黒い源さんが現れるだろうよ、きっと・・・)
気になったので、源さんのところだけちらっと観てみると
やっぱりか。
今までの、
「どうもー!星野源でーす!」
バンド編成で、ド派手に明るくやっている源さんは、どこにも見えず。
ライブの弾き語りパートよりも、もっと重苦しいというか、
もしかしたら、初めて観た人も多い源さんの「歌」だったなと。
中学校、高校と
「呪いみたいな歌を作っては歌っていた。」とかなり前に話していた源さん。
今まで封印してきた自分の想いみたいなものを、
バーっっとそのまま出して、歌っている気がしました。
ソウルミュージックも、ロックも、
「反骨」という芯があって、
ブルースという音楽もまた、黒人音楽から生まれたジャンルであり、
孤独や悲しみを表現するために生まれた音楽スタイルです。
2024年最後の「ばらばら」は、
デビューの頃の「ばらばら」よりも、
深みや凄みや、悲しみ、そして、優しさがありました。
あの1曲に、ソウルも、ロックも、ブルースも、
全部の要素が、ぎゅっと詰め込まれていた
星野源の音楽の「素」が、ストレートに表現されている味だったと。
あきらかに、他の音楽とは、一線を画す曲だったと思うのです。
その答え合わせをしたくて、
ラジオも聴いたのですが、(星野源のANN)
年末年始に、心からおめでとう、と喜べない人たちのために、
それでも、そばにいるよ、忘れていないよ、と
辛かったことも、苦しかったことも、無かったことにしないで
でも、それは、2024年に置いてきて、
2025年だもの、ゼロからやっていこうよという
源さんの思いというか、そんな気持ちで歌っていたということを
聴けてよかった。
リスナーからのメッセージに涙する源さんの声を聞いて、
ああ、「ばらばら」を選んだのは、こんな理由もあったのかと
自分自身も納得できた気がします。
ギター1本で、たった1人で、
誰もいないスタジオにこもって、
勝負するというか、戦っている感じというか。
音楽を通して、
自分の生き方や哲学みたいなものを表現するというのは、
なかなかに勇気がいります。
12月31日、弾き語りの「ばらばら」が
源さん史上、一番ロックで、ソウルで、ブルースだった。
長くファンでいても、そう思えるような一曲でした。
きっと、心も身体もかなり擦り切れたはず。
決して、明るく、希望いっぱいな未来が待っているなんて、
能天気でいられない現実。
私は偽物
ではなくて、
私は本物。
あなたも本物かもしれないけれど、
こうやって現実を見ている私も、
ほんものなんだよ、と。
世界は一つじゃない
僕らは、一つになれない
けど、
重なりあったところに
たったひとつのものがあるんだ。
そのまま、どこかにいこう
そのどこかが、かすかでも希望のある場所であってほしい。
いろいろなことを抱えて
歩かなければならない1年かもしれないけれど、
思った通りにはならないかもしれないけれど、
たったひとつのものが、見つかるように。
2024年の終わりと
新しい2025年の始まりに。
霧の立ち込めるような道だけど、
少しずつ、進んでいけますように。
源さん、ありがとう。