当事者にしか見えない景色#不登校の親 2
お久しぶりです。
子どもが不登校になり、もうすぐ2ヶ月目になります。
当初のパニック状態から、だいぶ落ち着いた感はありますが、
週1回のフリースクールも、行きたくないと言ってみたり、進んでは戻りの毎日です。
仕事を辞めるかどうか問題なのですが、
本当はやめたい気持ちでいっぱいなのですが、周囲からは、「全反対」されてしまい、今は、ダラダラと続けています。
当事者になったことで、考える視点が広くなったというか、考えたことを
今回は書いていこうと思います。
1 週末の家庭訪問が親としてはしんどい。
今までは、担任として何の疑問もなく家庭訪問や家庭への連絡をしていましたが、受ける側としては、なかなかに負担感があります。
学校側としては、生存確認をせよと言われているので、本人に会えないと困ると思うのですが、学校に行ってない子どもとしては、「会いたくないよ。」と。そうなると間に挟まれて、「すいません」と言わなければならないのは親なので。
家庭訪問で、来てもらう大変さも分かるし、会えなかった時の徒労感も分かる。
でも、子どもは会いたくないと言っている。
学校の勤務時間を考えると、先生としては4時半とか、5時くらいに家庭訪問したいけれど、訪問される側としては、子どもが会えない状態であれば、親が家にいる必要があります。毎週毎週、都合をつけて、仕事を切り上げ、その時間に家にいるというのは、なかなか大変です。
学校から渡されるプリントというのも、授業で使ったものがごっそり入っているのですが、あくまでも授業で穴を埋めたり、作業したりするものなので、授業を受けていない子としては、全くわからないし、「意味ねーじゃん。」と思ってしまうわけです。それをマメに、ノートに貼ったり、整理するかといえば、しません。
「授業に出られなかった、わからなかった。」という悲しい気持ちになるだけです。
なので、私の英語授業プリントは、必ず答えもあるものを冊子にして渡します。
原則、一人で学習できるものを授業でも使っていますので、授業に出られなくても、家庭学習できるものを渡すように心がけています。
どっさり渡された1週間分のプリントを、悲しい気持ちになりながら仕分ける。
そして、
「今週も、行けなくてすいません。会いたくないそうです、すみません。」と
言わなければならない。
生存確認の大切さも分かるのですが、なんとかなりませんかね。
先生側としては、不登校や長期欠席者の報告書を毎月提出しなければならないので、(それがけっこう細かくて、面倒だったりします)そのための家庭訪問だったりもします。
不登校の報告書って、何に役立つものなんでしょうか?
やっぱり、不登校って、不適応?良くないことなんでしょうか。
2 適応教室(サポート教室)にくる生徒たちに対する心持ち
以前、適応教室について書いたことがあるのですが、
「ゴールが見えない」と自分も言っていたと思います。
当事者側となって、
「不登校は、一人一人ケースが違う。」ということ。
「あきらかな理由がわからないケースが多い。」ということを実感しています。
五月雨式に学校にやってくる彼女、彼らに、
「甘えてるんじゃないの。」とか、ネガティブな感情を持ったりも
していたのですが、
「まず、学校に来ようと思って、来れたのは良かったね。」と
声をかけられるようになりました。
確かに、手間はかかります。
一人一人、バラバラなので、面倒は面倒です。
でも、生徒たちが、みんな揃って
「教室に戻ること」がゴールなのかしら?
そう思うようになりました。
「学校へ来て、教室で休まず授業を受けること」が正常だとするならば、
そこからはみ出てしまった子は、正常ではないということになってしまいます。
サポートルームの在籍者が、どんどん増えています。
全国的に見ても、学校へ行けない、行かない子供達の数が、激増しています。
その受け皿が、十分にないこと、機能していないこと。
適応支援教室が、学校の隅っこにある、お荷物的な存在になっていること自体が
問題だとも思うのです。
3 両方の立場を経験している中で思うこと
不登校の一人に、我が子がなったことで、
今まで教員として「当たり前」に見ていた、行っていたことについて
保護者の立場として、
「はて?」と
思ってしまうことが増えました。
今は、その「はて?」をどうにかすることは大変難しいのですが、
自分のこれからを考えた時に、
今回のことで繋がりを持てたり、助けていただいた人への
恩返しがいつかできたらと思ったりもしています。
教員という立場と、不登校の親という立場は、
水と油のように相反することが多いと思います。
でも、両方の経験をすることで、
それぞれの立場や気持ちを理解できることは、自分や子どものこれからに
役にたつと思うようにしています。
親は立ち止まって動けないでいる子をなんとかして動かそうとします。
でも、その通りになんかなりません。
親は「見守る」のがいいなんて言いますが、
できることは、
「子どもの前に、たくさん可能性のドアを置くこと」だと
先輩に言われました。
そのドアをいつ開くか、どう開くか、
鍵を持っているのは、子ども自身なの。
だから、その時が来るまで、待つ。
そうすれば、子どもは、自分で動き出すからね。
経験している人の言葉は、人の心を動かします。
私が勇気づけられた、すてきな言葉を、
今一緒に苦しんでいる、不登校の親御さん、不登校の中にある子どもたちと
シェアしたいと思い、ここに書いておきます。
いつ、我が家の不登校が終わるかわかりませんが、
彼女が自分の力で動き出すまで、気長に待とうと思います。
頑張らないで、
お父さん、お母さんが、元気でいることが一番大事。
フリースクールの先生に言われました。
自分自身が、そうなれたらいいのですが。
焦らず、やっていきます。