影響を受けたと思われるもの。その2。
前回、幼少期のWADAが
ディズニーと大阪万博の影響を
受けているのでないか?と
お話ししましたが、
これはスピリットの部分でのお話であって
行動への影響、
つまり彼を音楽へと向かわせたもののひとつに
彼の母親の存在もあるのではと思います。
前の記事で書いたとおり
頻繁に彼を映画や展覧会に連れて行き、
芸術に触れさせたことは
彼の情操を育み、
精神的な部分に大きな影響を与えましたが、
彼の母親はその他にも
オルガン、トランペット、絵画などの習い事や
カブスカウト、中学受験…などなど、
彼に多くの経験の機会を与えるような
当時としては
なかなかの教育ママだったようです。
(トランペットはWADA自からが
希望したようですが。)
WADAから聞く話を繋ぎあわせて察するに、
どうやらお母さんは
我が子を“芸術家”にしたかったみたい。
ちょっと希望とは違うかもしれないけど
なんとなく希望に添えてるかもね?
そんな母親の教育方針のもと、
彼は幼い頃から様々な表現に触れるとともに
自らも表現することに無意識のうちに慣れ、
そのなかで“自分には音楽だ”ということを
自覚していったのでしょう。
(お絵描きを反対されて育った私からすると
ちょっと羨ましい〜。)
しかし、それも中学一年生まで。
両親の離婚により一家で住んだ大阪を離れ
彼は彼と母親の出身地である東京に戻ります。
東京で居を構えたのは池袋。
しかも飲食店が軒を連ねる繁華街エリア。
今でこそ住みたい街なんて言われてますが
当時の池袋はかなりガラの悪い
地域だったらしいです。
東京に長くいる方はご存知かと思いますが。
そんな賑やかな繁華街での生活は
大阪で過ごした
住宅街での静かな生活とは異なり、
日々たくさんの情報が溢れ、
普通に過ごしていても様々な情報が
どんどん彼の中に飛び込んで来ます。
そのたくさんの情報に紛れて
彼はロックに遭遇します。
それまで家にあったタンゴや
トランペットで演奏するような音楽くらいしか
馴染みがなかった中学2年生のWADA少年は
待ち合わせ中の暇つぶしで入った
レコード店で流れていた
デヴィッド・ボウイの映像に心を奪われます。
(ウロ覚えのようだけど、
流れてた曲はStarmanで、映像は
何かの別の曲のライブ映像だったらしい。
映像と曲は違うのね。)
店員にこれは何かと聞くと、
これはグラムロックというもので
グラムロックだとこういうのもあるよ、と
あるレコードを勧められます。
これが、彼が初めて自発的に買った
レコードに収録されていた曲。
T.REX - Children of the Revolution
これをきっかけにロックと出会い、
自らもギターを握り、
それまでいかにも“お坊ちゃん”風だった彼が
“ロック少年”へと変貌してゆくのです。
ちなみにこの時に彼が惹かれたのは
デヴィッド・ボウイの〈映像〉で
〈音楽〉じゃなかったっていうね。笑
ここで、もし〈音楽〉だったら、
今とはまた違った活動をしてたりして。
(あ、でもその後もStarmanは
大好きだったみたい
ここも“宇宙”か。宇宙好きめ。)
当時はひと世代前の
“ロック=不良”なんてイメージこそ
薄れていたものの
ロック好きな中学生は
まだそんなに多くなかったようです。
クラスで 2〜3人くらい。
↑のT.REXのレコードのおかげで
彼はそのマイノリティーの
仲間入りを果たしたのだそうです。
しかし、彼くらいの年代の人って、
やっぱ入門はThe Beatlesから?
って感じが王道だったようで、
こういう真っ直ぐ真ん中を歩けないところ、
天邪鬼な彼らしいとも思います(笑)
あ、あと、いかにも
“長子”にありがちだっていう。
良きも悪きも手ほどきをしてくれるような
年上の人物に恵まれていないので
文化的な出会いは偶然に委ねるしかなくて
ちょっぴり歪な経歴を形成してしまう感じ。
(私もそうです。とはいえ、
まー、今日日こんだけ情報が溢れてたら
人それぞれなんですが!)
そんなわけで、WADA語りというより
なんかWADAの経歴書みたいに
なってきてますが、
“WADA少年、ロックに目覚める編”は
この辺りで。。。
この調子でディスコ編とかになると…
うゎー。。大変そうだなぁー。。。´д` ;