DJ WADAヒストリー 過渡期編②
新年明けましておめでとうございます。
って、もう松の内どころか
鏡も開いちゃってるけど
とりあえず、2019年初の更新なんで。
ご挨拶を、ね。
当初はこんなにダラダラ続ける気もなかった
このnoteの記事なんですが
私のだらしなさがたたって、
驚くことに5年目に突入です!
果たして、今年中に
完結できるのでしょうか?(無理め)
とりあえず、今年もゆるゆると
続けてまいりますので
DJ WADAを、
ついでにこのnoteも、私も、
どうぞよろしくお願いします!
*
異変は事が起こる少し前から
始まっていました。
2002年、
まだまだ寒さの残る3月初旬のその日は、
先の記事にも書いた
J-WAVEのFREEFORMの
MIX収録日。
WADAは
慢性化した体調不良を抱えながら
いつものように
当時、高樹町にあった
J-WAVEのスタジオに入って
MIXをするのですが、
??
なぜかいつもより
モニターの音が小さい。
エンジニアにリクエストを出して
音量を上げてもらうのですが
あまり改善されない?
少々の苛立ちを覚えながらも
こういう日もあろうかと
とりあえずはいつも通り
収録をこなして、その日は終了。
この日の体調は先にも書いた通り
毎日の頭痛薬が欠かせない程度に
良いとは言えない状態が
常態化していたので
“いつも通り”といえば、いつも通り、
“体調が悪かった”と言えば、悪かった、
という感じで、
モニターの聴こえづらさが
まさか自身の体調の変化にあるとは
思い至りませんでした。
ただ、高樹町から六本木通りを渡って
骨董通りを歩く帰りの道すがら
お酒も入っていないのに
どういうわけかふわふわして、
まっすぐに歩けない様を
呑気にも
「おかしいねー?」なんて言ながら
帰ったのを覚えているそうです。
(普通だったら
その時点で病院に行くだろうと
現在の本人のツッコミ。)
そして、その翌日、事は起こります。
(か、翌々日。
↑あんまり覚えていないらしい)
朝、目覚めると
ベットの上で横たわっている
彼を取りまく世界が、
ぐるんぐるんと
どうしようもないくらい
酔っ払った時のように
激しく回転しています。
それとともに、
自分の内側、内臓までの全てを
排出してしまいたいほどの激しい吐き気。
立ち上がろうにも
目眩でまともには立てない。
それでも、なんとか這うようにして
トイレに駆け込み、
そこからは、ひたすら嘔吐。嘔吐。嘔吐。
なんだかわからないけど
これはヤバい。
ちょっとやそっとでは
医者に頼ろうとはしない病院嫌いの彼にも
(今でもそうだから
嫁としてはちょっと困っている。
骨とか歯とか折れても
その日に病院に行こうとしないし)
これはもう、自力でどうこう…
というレベルではないことを察し
とりあえず、その日の夜に控えた
大阪MOTHER HALLでのイベントに
出演できそうにないことだけを
10分おきに襲う吐き気の合間に
やっとの思いでYAMAさんにメールして
救急車で病院へ。
救急車が迎えについた頃には
もう、胃からは何も出ないほどに
何もかも全てを吐ききっていたそうです。
意識はあるものの
吐き気と目眩でぐったりとした彼は
緊急で措置を受け、そのまま入院。
1週間ほど点滴に繋がれるだけで
命を繋ぐような日々を過ごし、
その様を見た見舞い客のほとんどが
彼の衰弱ぶりに
ショックを隠せない様子だったそうです。
医者から告げられた診断は
重度の“突発性難聴”。
今になって思えば
ふわっとは耳の異変を
感じでいたようですが
それよりも激しく襲う
目眩や吐き気に気を取られていたため、
少し症状が和らいできたところで
病名の告知を受けた
このタイミングで
初めて彼は
自分の左耳が正常に
機能していないことを理解します。
激しすぎる目眩と吐き気から
とりあえずの解放をされた彼を
待ち受けていたのは
左耳の聴覚の亡失。
これまで彼の生活を、
そして、何よりキャリアを支えてきた
左右の聴覚。
その片方につながる回路が
突然(でもないけど)切断され、
そこにあるのは
ザーザーザーとノイズの世界のみ。
今まで拠り所にしていた
大切なものを失った彼は
窮地に立たされすぎて
絶望感を感じる余裕さえなく、
言葉では言い表せないような
複雑な心境だったそうです。
今でこそ、突発性難聴を
公表するアーティストも多く
私の周りでもチラホラと
診断を受けたという方もいるのですが
この頃の世間の認知度は
決して高いとは言えない病名で、
特にWADAは
三半規管に影響を及ぼすほどの重症。
医者からは
「聴覚は回復する場合もあるけど
回復しないかもしれない。わからない。」
と言われました。
その、「回復する場合もある」の言葉に
幽かな期待を抱きつつも、
2002年3月18日、
本来であれば華やかな場所で
大勢のオーディエンスの聴覚を
刺激するはずの彼は
その聴覚を失うという絶望の中、
点滴スタンドを片手に
入院病棟の談話室のTVから流れる
辻元清美の「疑惑の総合商社」の報道を
ぼんやりと眺めながら
43歳の誕生日を迎えたのです。
*
ということで。
もう少し彼の左耳の話は続けますが
今回は一旦この辺で。。。
というか、皆さん、
もうあちこちで言われてる事なので今更ですが、
ちょっとでも体の異変を感じたら
早め早めに病院へ行った方がいいですよー!
特にこれから季節が移ろう時期には
体調を崩しやすいので
どうかご自愛して
楽しく2019年を過ごしましょうね。
ではっ!