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影響を受けたと思われるもの。その3。

さて、前回はお粗末ながら
私のことを語らせていただきましたが、
話を戻してWADA少年のその後です。

T.REXのレコードによって
当時まだマイノリティであった
ロック好きのクラスメートたちから
めでたく(?)市民権を得た彼は、
音楽性の一致という
強力な磁力によって(大事だよね。笑)
瞬く間に彼らとの交流を深め
ぐいぐいとロックへのめり込んでいきます。

当時ラジオで流れていた
ELTON JOHN、
The Allman Brothers Band、GFR…などの
“洋楽”(当時の彼の認識では)を
聴くと同時に、
謎の隠れ音楽好きNくんから
ELPやPFMなどの
マンティコア・レーベルのレコードを借りて
プログレッシブ・ロックを教わり、
親友Fくんからは
The BeatlesやDeep Purple
Led Zeppelin(これは高校生になってから)
などの、いわゆる王道ロックを知ります。

ロックに関する知識において
新品のスポンジのような彼は
どんなものでも
ごちゃまぜに吸収していきます。
今まで馴染みのなかった“洋楽”に新鮮さを、
クラシックとロックが融合した
ELPの展覧会の絵を聴いてプログレの
“洋楽”とは違った魅力を漠然と感じ、
Woodstock Music and Art Festivalの
フィルムコンサートでは
フェスならではの雰囲気、
そしてこれまで聴いていた音楽とは違う
“自由”な空気感に
カルチャーショックを受けたりします。

しかし、中学生の間は
とにかく知識を得ることが最優先。
演奏といっても
ギターのコード練習プラスα程度で
本格的にバンド活動を始めるのは
高校2年生から。

ギターが上手くなりたいならば
ブルースを聴いたらいいよ。
と、ブルース・ロックを彼に教え、
ギターを本格的に始めるきっかけを
つくってくれた先輩を差し置き
その先輩のバンドのメンバーたちとともに
新たにバンドを結成することになります。
(意識的ではなかったそうですが…
その先輩は彼が入ったことにより
バンドを追い出されることに。。)

私はバンドを組んだり
ましてやプロを目指したりなんて
したことがないので
そういうのが当たり前なのかどうか
全く分かりませんが、
けっこう熾烈なポジション争いというか
まぁ、引き抜きとか追い出しとか
色々あったみたいです。
趣味ではなく本気でプロを意識した
彼らにとっては
クオリティを上げることが
人間関係よりも最優先で
センスの一致不一致には
ものすごく敏感だったと聞きます。

そんなプチ戦国時代(?)のなかで
彼もギタリストとして頭角を現し、
解散や、追い出しなんかの
ドロドロとした渦に揉まれていきます。
今思えば、結果として恨まれても
仕方のないようなことも多々あったそうで
その後、27歳の時に
考え方を改めさせられるような
ターニングポイントがあったようですが
それは、また今度。

さて、そんないきさつで組んだバンド。
曲は完全オリジナルで、
テイストとしては
Mountainのような感じだったそうです。
(でもバンドメンバー共通の憧れはCream)

このバンド活動でできた人脈によって
彼の世界はいっきに拡がっていきます。

バンドメンバーの女友達を介して
当時原宿にあった『DJ.Stone』という
ロック喫茶に通うようになります。
『DJ.Stone』はプログレッシブ・ロックを
メインにかけていた店で、
彼が通っていた頃は
Pink FloydやLed Zeppelinなどが
よくかかっていたいたようです。

その中で、
店内の照明を落として真っ暗闇にし
音のボリュームを上げる
サウンド・サービスという時間帯があり、
(名称は彼のウロ覚え)
そこで爆音でかかるPink Floydの
The Dark Side of the Moon

音楽によって
自己の脳内で創り出されたイメージが
映像化され拡大していくような体験をし、
そして、自分が音楽に求めるものを
初めて認識します。

その脳内世界のイメージは
宇宙だったり、未来だったり、夢だったり。
曲本来の意味は
けっこうメッセージ性の高いものなのですが
彼の中に生まれたイメージは
幼少期に刷り込まれた
万博やディズニーにつながるような
そんなものだったと言います。
(ちなみに、上記のアルバム。
 DJ WADAをよくご存知の方には
おなじみのアレの入ったアルバムです。)

このように彼は
『DJ.Stone』に通うことによって
自己の中にある“感性”を意識し、
そして“センス”を共有する人脈を
築いていきました。

その一方で彼は
バンドの先輩たちに連れられて
CREATION、カルメン・マキ&OZ、
四人囃子などのドメスティックなバンドの
ライブにも足を運んでいます。

様々なライブに足を運ぶうちに
そこで知り合う業界の大人たちから
音楽論、演奏のテクニック、業界のあれこれ、
ちょっと悪いこと(笑)…等々の
バンド活動における実質的なことを学び、
新たに活動を共にする仲間を得ていきます。
(余談ですが、この時期、遊びに行く先に
 天井桟敷なんかもあったとか。)

先輩たちと組んだバンドから
社会人を含むバンドに移籍した彼は、
(移籍によって元のバンドは解散)
ますます活動の幅を拡げ、
プレイヤーとしての実績を積んでいき
そして、学校そっちのけで
単位ギリギリで高校を卒業するまで、
(正確には卒業して少し経つ頃まで)
どっぷりとそのバンド活動に
浸ってゆくのでした。

というわけで。

…この文章はいちおう、
WADAにインタビューしながら
書いてるんですが
彼ね、話がすごい寄り道します。
躾のなってない犬の散歩ばりに。
たぶん、普段の行動から推測するに
普通の人よりも少し寄道率は
高いんじゃないかな?
んで、叩くとここに書ききれないほどの
いろんな物が出てきます。
(ま。四半世紀以上前の話ですからね!)
色々書き足りないこともあるので
興味のある人は
直接本人を叩いてみてください。

でも時系列とか
前後関係バラバラで話されるから
こんがらがるよ!

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