DJ WADAヒストリー 復活編③
忘れられた頃かもだけど、
こんにちは!
WADAも、私も、そしてこのnoteも
まだ生きていますよ。
実は10月の終わり頃から
この記事に着手していたのですが
書き上がりが
こんな時期になってしまいました。
なんと、たかがブログ(的なもの)に
2ヶ月かがり!大作!
なんていうのは大嘘で。
時間だけみると練りに練って
一生懸命書いたっぽくみえるんですが
ちょっと書きかけては忙しくなって
何書いたかすっかり忘れて、
思い出してちょっと書くと
また忙しくなって忘れて、
を繰り返してたら、こんなことに…!
いちいち忘れない賢い脳ミソが欲しいです。
(アップ済みの過去記事も
もう殆ど忘れてるしね。)
ま、でも年内に書けて偉かったね、私。
ということで。
変な方向に自画自賛の今回の記事ですが、
良かったら、年末の忙しさの中の
ちょっとした息抜きにでも
読んでもらえたら幸いです。
❇︎
突発性難聴により、
左耳の聴覚を失ったWADA。
自身のキャリアを支えた
両輪の片方を失った彼は
DJとしての自信を失いつつも、
周囲の人たちの助力によって
何とかホームグラウンドである
『maniac love』で
DJとしての復活を遂げます。
しかし、片耳だけのプレイでは
当然、以前のようにいくはずもなく、
肉体的負担を軽減するために
耳には優しく、そして、それに乗じて、
悪くいえばよりエゴイスティックに、
よく言えば、
より自己に正直なプレイへと変化しました。
この片耳を失ったことによる変化は
もちろん、DJプレイだけではなく
楽曲制作にも現れます。
制作への復帰はいつ頃からだったか
もう覚えていないそうですが(いつもだね)
その頃に発表された作品とか
取り巻く状況とか
そういう記憶の断片を拾い集めると
多分、DJの復活よりも
少し前あたりからでしょうか。
(ちなみにWIRE02への出演前 or 後かも
よく分からないそうですが
WIREの時はまだ絶望感モリモリだったから
多分、WIREよりも後かと)
退院直後は、
“自分はもう終わった”と思っていた彼ですが
執着していた左耳の復活も諦めかけ
片耳だけの生活に慣れていくと同時に、
鬱屈とした気分を紛らすために
生楽器などを使った
耳に優しい曲を聴いてみたり
ピアノを習いはじめてみたりと
少しづつ音楽に触れ始めるうちに
当初の絶望感を徐々に緩ませてゆきます。
そんな頃、DJ WADA名義で
1本のREMIXの仕事が
「できますか?」と舞い込んできます。
この頃はまだDJ復帰もせず、
ぼんやりと不安を紛らす毎日を
過ごしているような状態ですから
当然、時間もある。
そして、いつまでも
このままで居られるわけがない。
と、ここにきてようやく思い至った彼は、
マイペースにできるのであれば…と
試しにこのREMIXを受けたことをきっかけに
Co-fusionでの制作も含めた
楽曲制作を再開させます。
(“お試しで作ったREMIX”というのも
なんだか原曲に悪いし
どの曲だったか80%くらい確実なものの
100%ではないので
この時作った作品の名前は
伏せておいて欲しいそうですw
あ、でも一生懸命やりましたよ!
とは、本人談。)
しかし、再開させたはいいものの、
左右がアンバランスになってしまった
彼の聴覚では
先の記事で書いたDJ復帰の時と同様、
ほぼ全くと言っていいほど
音のバランスが掴めない。
再開のきっかけになった上記のREMIXは
分からないなりに工夫して
なんとか仕上げたけれど
それも正直にいうと
自分ではその曲の善し悪しが
よく分からない。
Co-fusionでの制作は
信頼できる相方(TANIさん)に
頼れるからまだ良いものの、
それでも、
これまで分かっていたことが
分からないという苛立ちと
分からない自分への不信、
自分のジャッジで
太鼓判を押せないことへの不安
そして、自分は片耳だという悲しい現実を
改めて突きつけられる辛さに
彼の気持ちはじわじわと
制作に対して消極的な方向へと
流されていきます。
この、じわじわと、の間に
制作再開から少し遅れて(たぶん)
DJの練習も始め、
制作と同じような不安を抱えたまま
DJとしての復帰も果たし、
“DJ WADA”は本格的に再始動し始めます。
さて、もう滑り出してしまったのだし、
ここに来るまでに自分で
新たな方向へと舵を切れなかったのだから
周囲が復活への道を引いてくれたわけだし、
求められることにありがたみを感じて
肚を括って割り切ればいいのに。
なんて、短絡的な私は
これを書きながら勝手に
思ったりもしたんですが
本人の優柔不断な性格に加えて、
(ちょいちょいdisる w)
“自分の名前で作品を世に出す”
という責任もあるのでしょう。
復活を果たしても
本心では煮え切らない。
“自分が”良しと判断したものでしか
評価をされたくないという
アーティストのエゴは、
言い換えれば、
慎重、真面目、そして誠実さなわけで、
(まぁ、“あるある”なのだろうけども)
100%自信の持てるものではのないものを
世に差し出すことへの罪悪感や不安による
ふわっとした居心地の悪さを燻らせながら
“DJ WADA”は再び歩みはじめたのです。
私はこの前後に
“デザインをやってる人”として、
彼と知り合いました。
多分、前回の記事で書いた
彼が方向転換を図った(図らずを得なかった)ことで
“変化した彼の周りの顔触れ”の
新たな一員だったのだと思います。
こういう馴れ初め的なもの(?)を
文章で、顔の見えない相手に晒すのは
少々恥ずかしいのだけど
この頃は
クリエイティブの先輩後輩というか
なんというか、そんな感じで、
多分、彼とある程度親しく話したことのある
若いクリエイターの人たちはわかると思うけど
(もうそんなに若くない人も
多いだろうけどw)
主にモチベーションの持っていき方とか
今後の展望に悩む私の話を
聞いてもらう&励ましてもらう感じだったので
その中でまあまあ
彼の本心に触れる機会があったし、
ある程度理解しているつもりだったのだけど、
それでも、その程度の距離感の人間からしたら
この頃の彼は、
先に書いた彼の内情と彼を取り巻く状況を
上手くバランスを取っているように見えたし、
その傍らで新たな何かに
挑んでいるようにも見えました。
そう、そう、新たな挑戦。
そもそも、よくよく考えれば、
超シングルタスクの彼が
心情と相反する状況のバランスを
いつまでも上手に取り続けるなんて
そんな器用な事ができるはずもなく。
どこでこうなったのかは
本人にもはっきりとは
判らないかと思うのですが
物理的に過去のスタイルを
維持できなかったがために
制作よりも先に
彼のエゴが駄々漏れしていた
DJプレイに対する手ごたえにも
引きずられたのでしょう
(まー。1人の人間の頭の中だからね)
自信の持てるものが作れないという
彼の苦悩はいつしか、
DJ WADAとして再活動する中で
どうやって自信の持てるものを作るかという
前向きな挑戦に転化していました。
それは、楽曲制作への意欲を
欠きかけていた彼にとっては
もがく中での一筋の光でした。
体がこれまでと違うのであれば
制作も今までと違う方向に、
違うやり方で、
そして、新しいものを作ればいい。
それは、彼にとっては
片耳を失った今だからこそ許された挑戦で、
このハンデを逆手にとって叶える。
一見、優柔不断で弱々しい彼の
実は奥深くに眠る強かさが目覚め、
彼は制作へのモチベーションを取り戻します。
しかし、DJプレイならまだしも
楽曲を発表するには
彼のエゴだけを押し通すわけにはいきません。
特にCo-Fusionでの制作においては
相方がいる、そしてレーベルがある。
彼のエゴが強く現れた作品は
変化したDJプレイが賛否両論だったように
レーベルを始めたとした
多くの協力者たちを困惑させました。
お客さんは以前のカラーを期待し、
レーベルはそれに応える体勢を
とっているわけですから
彼の急な方向転換に
困惑するのは当然のことで、
僅かながら軋轢も生じていたようです。
(ちなみに一緒に歩いてても
彼が急に方向転換して
私の前に躍り出てきてあわや衝突。
私イラッ!
ということがよくありますw)
彼の(急にみえる)方向転換に
皆が困惑している。
その状況を彼自身も理解はしていました。
しかし、口ベタで器用ではない彼は
上手く言葉で
周囲を納得させることもできない。
かと言って、以前のようにもできない。
周囲の困惑を感じながらも
彼は、エゴを押し通すしかない。
そんな状況で数年を過ごす中、
Co-Fusionのこれまでの楽曲だけを使った
MIXを作る企画が持ち上がります。
MIX担当はもちろん、彼、DJ WADA。
そう、この状況の中です。
ここまでくどくどと書いてきたので
皆様はお分かりかと思います。
“新しいものを作りたい!”と
爆進し始めた彼(亥年生まれ)に
これまで通りの、
普通のMIXが作れるはずがない。
一旦は誰もが想像する通りの選曲をして
頭の中で構想を練ってはみるのだけれど、
気持ちが“新しいもの”に向いている彼には
どう考えてもしっくりこない。
ああでもない、こうでもないと
新しい表現を模索するうちに、
彼のクセでもある
分解癖が顔を出し始めます。
(分解癖ゆえにDJするときも
あんだけEQ触りまくるんだなと
個人的には思っています w)
趣くままに分解しては再構築する、
それを繰り返して形を現したものは
所謂、通常のDJ MIXともREMIXとも言えぬ、
エクスペリメンタルなものでした。
当時のどこかの紹介文の言葉を借りれば
“サウンドコラージュ”。
この異質な作品は
当然ながらレーベル関係者たちの
物議を醸しました。
しかし、これは、
変化からここに至るまでの
他の作品に対するこれまでの困惑とも違い、
この馴染みのないものを
どのような形で発表するのがベストか、
という、ポジティブな議論でした。
突発性難聴発症から復活して
燻り、模索して、ここまでに実は約5年。
(“この作品に5年かかった”
というわけではないよ。)
関係者たちのこの5年間の反応とも違う
ポジティブな反応を引き出し、
そして、そこからの後押しを得られたのは
この作品が、
口下手な彼の出したひとつの答えとして
ある意味、“完成されたもの”だったから
なのかもしれません。
絶望の淵から本当の意味で戻り、
彼が新たに歩み出した1歩の象徴だったようにも
思えるこの作品は、
2008年6月、
DJ WADA名義での初のアルバム
「Final Resolution」として発表されます。
❇︎
さて、いよいよ現在に近づいてきて
書くことがなくなってきました。
というか、ここまでくると
もう皆さんご存知の事が
殆どになるかと思うので、
多分、あと1回くらいで
このシリーズも終わるんじゃないかな
って自分では思ってるんですが。
(ホントは年内に終わらせたかった。。。)
そんなタイミングで
今回の記事から11年後の先々月、
Co-Fusion復活しましたね!!
この復活直後に
Co-Fusionの制作が止まる
直前の記事を書くってねw
なんだか間が悪いというかなんというか…
いっそオイシイということで!
再始動したCo-Fusion、
来年早々にもなんか出るみたいよ!
ウフフ。楽しみ!