DJ WADAヒストリー Co-fusion編 ④
けっこう、
なかなかのご無沙汰をしています。
正月の記事をアップした際に
あまり時間を空けずに次を書くぜ!
とか豪語しておきながら、
軽く4か月が過ぎようとしています。
もう書くのやめちゃった?
とか思われてたりして。
色々と応援のお言葉を
いただいておきながら、すみません。
忘れてはなかったんですけどもね。
ホラ、色々あるでしょ。
人間生きてると。
えへ。
もうね、忘れた頃にやってくるのが天災と私、
くらいに思ってくれたら嬉しいです。
なんてね。
余計なこと言ってないで
本編に入りまーす!
*
さあ、いよいよアルバム「Co-Fu」発表だ!
という感じで前回が終わってましたが
Co-fusionのツアー話が
まあまあ雑なまま
WADA単独のDJツアーの話になってたので
予告どおり、ちょっと戻って
Co-Fusionのツアー話をもう少し。
アルバム「Co-Fu」の製作が
ひと段落ついた彼らは
Sublime recordsの
ヨーロッパツアーの一環で
ロンドンの百貨店、
Harvey Nicholsでのライブを皮切りに
(ショーケース的な
ファッションイベントだったようです)
ヨーロッパのいくつかの都市を巡ります。
巡った都市は前の記事にも書いたとおり
ロンドンの他に
コペンハーゲン、
ストックホルム、
ベルリン、
ライプツィヒ、
そして最後に
ススム・ヨコタさんや
DJ YAMAさん達と合流して
バルセロナでのSónar98。
これらのツアー中、
ロンドンを拠点にしていた彼らは
平日の空いた時間を利用して
ロンドンの
The Exchange mastering studioで
アナログ盤「Co-Fu」の
マスタリング&カッティングに
立ち会います。
このThe Exchangeでの立ち会いは
TANIさんもWADAも口を揃えて
「音も最高で良い経験だった!」と言いますが
担当してくれたマスタリングエンジニアは
Guy Davie氏。
当初、希望していたNilesh Patel氏に変わり
(なぜ変わったのかは
スケジュールの絡みなのか、
人からの勧めだったのか
覚えていないっぽいけど、
まぁそれはどうでもいいよね。)
ブレイクビーツを得意とする
Guy Davie氏に手がけてもらったのは
大正解だったようで、
今回これを書くにあたって
WADAに「Co-Fu」のアナログを
段ボールの山の中から
引っ張り出してきてもらって
改めて聴いたんですが、
もうね、音に厚みがあって全然良いです。
私が言のもちょっとアレですが、
アナログで「Co-Fu」持ってる人って
とってもラッキーなんじゃないかな。
そんなGuy Davie氏とランチをした際に
彼がオイルサーディンの
サンドイッチを食べていたのを
彼のアシスタントが「うえっ」っていう
顔をして見ていたのが
WADAには印象的だったとか。
その他には、The Exchangeの
別のスタジオに入っていた
SUBHEADのPhil Wells氏と
タイ料理を食べて楽しかったとか、
立会いそのものも、人との交流も
和やかで楽しいひとときだったようです。
The Exchangeでの時間の他は
二人が滞在していた
ケンサルロードのB&Bから
歩いて15分くらいの
『Rough Trade Records』を
ちょっと覗いたりとか、
フランスで開催中だったW杯をパブで観てて
「日本がヨーロッパ勢に負けて良かった。
勝ってたら周りから殺されてたかもね!」
なんて二人で話したり
当時サポートしてくれていたCharlie氏達と
老舗のフィッシュ&チップスレストランに
行ったりとか
仲良く二人でのロンドン生活を
楽しんだようです。
スマホはおろか、
ノートPCもない時代だったので
ライブのある日以外はヒマでヒマで、、と
TANIさんからのコメントにはあったのですが
コメントを読んでる分には
豊かな良い時間だな〜。
と個人的には思ってしまいました。笑
ロンドン以外での
ツアーの思い出はというと、
WADAからは
コペンハーゲンのクラブは
チボリ公園あたりだったとか
Autechreが遊びに来てたらしいとか、
ライプツィヒではPAがライブ中に
うっかりフェーダーを下げて
音が止まっちゃったとか、
(これはTANIさんも言ってました)
仕事に関するエピソードは
ふわっとそれくらいで、
あとは
後から合流したMUSICMINE天野さんの
B&B締め出し事件(ロンドンだけど)とか
Sónarでの珍道中とかの面白ネタばかりなので
あえてここに書くのは割愛しますが
(個人的にはこういう話が面白いんですがね)
まぁ、興味があったら
WADAに会った時に
直接訊いてみてください(笑)
と、WADAはこういう感じなので
TANIさんにも伺ってみましたが、
大きなクラブでやったのは
スウェーデンが初めてだったとか、
白夜体験!とか、
ライプツィヒでは
当時はまだアジア人が珍しかったみたいで
道ゆく人の視線を集めたとか、
Sónarの頃になるとすっかり慣れて
他のアクトのライブを楽しんだり
バルセロナの観光をしたりしたとか。
に、加えて、
コペンハーゲンは綺麗な女の子が多くて
ライブ後にモテたけど口説けなかったとか
TANIさんらしい思い出も(笑)
互いの思い出を
それぞれに訊いてると
性格の違いがよく出ていて
ちょっと面白いです。
そして、全く違う二人だからこそ
バランスが取れているんだなぁ。
なんて、思ったりして。
っていうか、これ書き始めて
WADAの傾向を改めて実感してるんですけど
肝心の仕事のこととかより
先のGuy Davie氏の
オイルサーディンサンドとか
天野さんのB&B締め出し事件のような
誰かの行動が面白かったとか
あのトラブルが面白かったとか、
そういうヘンなことばかり集中して覚えてて
(私の実家に帰った時もいつも
両親の面白ネタばっかり拾ってます)
どういう流れでどこを巡ったとか
その時代、その都市の雰囲気とか、
肝心なことはあまり覚えてないんですよね。
(そんな人間の半生を追うことを
軽い気持ちで始めてしまった自分を呪う。)
一体、仕事に対して
どういう姿勢で取り組んでいるの?
とか言いたくなるような記憶の仕方なんですが
目紛しく自分の周りが変化していく中では
案外、みんなそんなもんなのかもな。。。
と思うと同時に
まぁ、それが彼の強さなのかもしれないと。
そのおかげでかどうか、
この当時〜片耳の聴覚を失うまでの彼は
どんな大舞台でも
あまり動じることはなかったようです。
むしろ、今の方が緊張するとか。
(多分、片耳な分、現場ごとの
出音バランスの把握とかそういう面で
ナーバスになってるんだと思う)
まー、いつものように横道に逸れたのですが、
そんなこんなで、
無事に初ヨーロッパツアーを終え、
同年9月、彼らの1stアルバム「Co-Fu」が
アナログとCDで世界各地に発売されます。
「Co-Fu」が発表されてからの展開は
これを読んでくれている(であろう)方達には
もう説明不要かと思うのですが
当時のテクノ人気(テクノバブルとも)、
そして、インディーズブームの波にも乗って
様々なメディアや
FUJI ROCK FESTIVALをはじめとする
ビッグイベントにも出演するようになり、
WADAのバイオグラフィーの言葉を借りれば
彼らCo-Fusionは
日本テクノの重要アーティストの地位を
確立していきます。
そして、99年10月。
弾丸アメリカツアーを敢行。
本来であれば私の集中力的に
この後は次回に回したいとこなんですが、
勢いでアメリカツアーまで
ちょこっと書いちゃいます。
ホラ、明日4/30にWADAが
UR as Depth Charg & Ken Ishiiさんと
Contactだし。(宣伝か? 宣伝だよ!)
日本を発って13時間のフライトを経て、
初日の金曜日は
治安の悪さで有名なデトロイト。
街の印象は評判に違わず、
その危険さゆえか中心街は
閑散とした感じだったそうです。
(TANIさん談)
そんなデトロイトで
Co-Fusion LiveとWADAのDJ set。
正直、客入りは、
激混み!という感じでは
なかったらしいのですが
Mad Mike氏や
Anthony "Shake" Shakir氏など、
現地のアーティストが多く遊びに来てくれて
温かくも居心地のよい
パーティーだったようです。
あと、帰り(というか次に移動)は
ホテルから空港まで
リムジンで送ってもらったりで
ちょっとしたVIP気分を
味わわせてもらったんだとか。
(女の子とシャンパンはなし!とは
これもTANIさん談)
そして翌日の土曜日は
ラジオでの生ライブのためにNYへ。
ラジオ局の担当者が
ATOMからの二人のファンで
和やかな雰囲気で
楽しくライブできたそうです。
ライブ後はWADAはホテルへ
仮眠を取りに戻ったそうですが
TANIさんはJunior Vasquez at Twiloへ。
そこで、かつてお世話になった
FUMI KONDOH氏(過去の記事参照)に
バッタリ会って、
結局翌朝10時まで遊んでしまい
そのまま寝ずにサンフランシスコへ。
日本から13時間のフライト。
そのままデトロイトでライブとDJをして
ロクに寝ずに翌日はNYでラジオ出演。
その後WADAは1〜2時間の仮眠に
TANIさんは一睡もせずに
最終日のサンフランシスコへ。
当然の如く二人は寝不足と疲れで
ボロボロの状態。
そんなボロボロの身体を奮い立たせて
なんとか無事にライブを終えたら終えたで、
ライブ後にオーガナイザーから置き去りにされ
ホテルに戻る足がないというトラブル。
困っていたところを
クラブの強面バウンサーに送ってもらったり、
(見かけによらずイイ人だったそうな!)
あと、どこのタイミングかは忘れたけど
飛行機の乗り継ぎを失敗したりと
なかなかドタバタなアメリカツアーでしたが
先のクラブのバウンサーや
当時アシストについてくれていた
現Hostess代表のPlug氏など、
(というか彼の存在は大きかったとWADA)
様々な人に助けられて
なんとか予定通りのギグを終えて
無事に帰国するのですが
二人のコメントは
終始、「疲れた」と「眠かった」。
まー、そりゃそうだ。
もしかして、これ全部
二人の夢だったりしてね。笑。
なんて、嘘、ウソ。
今となっては若かったから実現できた
ツアーですよね。
と、いうことで。
この後、2度目のヨーロッパツアーの
ハナシになるのですが
こちらもWADAのDJツアー含め
それなりのボリュームになりそうなので
今回はこの辺で。
*
あ、そして、さっきも
チラリと書きましたが
再び告知させてください。
実はこのためにアメリカツアーまでを
今回に押し込みました(笑)
明日、4/30(月)は
【Depth Charge Live in Tokyo at Contact】に
WADAが主演します。
WADAがMad Mike氏に会うのは
もしかしたらこの記事に書いた
デトロイト以来かも?!とのこと。
私、てっきりオールナイトイベントかと
思ってたんですが
どうやら17:00〜23:00みたいです。
私みたいなうっかりさんは
どうかお間違えなく!
(WADAは最初の17:00〜です。)
あとあと、5/2(水)は
【PHAZE at R-Lounge】で
Co-FusionのDJ Setです。
今回の記事の頃から19年!
すっかりおっさんになった二人だけど
プレイはあの頃と変わらずなのか、
それとも一味も二味も違うのか。
そんな彼らのプレイを
良かったら体験しにきてくださいませ。
とまぁ、告知こそしたけど
上記どちらも来れなくても
どこか別のパーティーに行く予定でも
皆様がそれぞれに
楽しい休日を過ごせますように!
毎度のことながら最後は雑な感じで締めますが
ではでは。皆様どうか良いGW後半を〜!
今回は次はいつ更新できるかなんて
うかうか言いません!(笑)