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長唄「菖蒲浴衣」解説

菖蒲浴衣  作曲:二代目杵屋 勝三郎 三代目杵屋 正次郎


【歌詞】

五月雨や 傘につけたる小人形 晋子が吟もまのあたり 
己が換名を市中の 四方の諸君へ売り弘む 拙き業を身に重き 
飾り兜の面影うつす 皐月の鏡曇りなき 梛の二た葉の床しさは 
今日の晴着に風薫る 菖蒲浴衣の白襲ね 
表は縹紫に 裏むらさきの朱奪ふ 紅もまた重ぬるとかや 
それは端午の辻が花 五とこ紋のかげひなた 
暑さにつくる雲の峯 散らして果は筑波根の 
遠山夕ぐれ茂り枝を 脱いで着替の染浴衣
古代模様のよしながき 御所染千弥忍ぶ摺り 
小太夫鹿の子友禅の おぼろに船の青簾 
河風肌にしみじみと 汗に濡れたるはれ浴衣
鬢のほつれを簪の 届かぬ愚痴も好いた同士 
命と腕に堀切の 水に色ある花あやめ 弾く三味線の糸柳 
縺れを結ぶ盃の 行末広の菖蒲酒 これ百薬の長なれや
めぐる盃数々も 酌めや酌め酌め尽きしなき 
酒の泉の芳村と 栄ふる家こそ目出度けれ


【解説】

安政六年(1859)五月作曲。端午の節句から初夏にかけての風物を唄い、賑やかな中に粋な気分もよく出た作品。

五代目芳村伊三郎襲名のために作られ、伊三郎のスポンサーに呉服関係者が多かったことから「着物」に関わる表現が多く見られる。
歌舞伎役者「芳沢あやめ」好みの浴衣『あやめ浴衣』を売り出す広告長唄であるとも言われていたが作曲年代から現在この説は間違いとされる。
不仲であった三絃名手で作曲者の勝三郎と唄方伊三郎の間を正次郎が取り持ち、この曲で両者を共演させたという由緒深いもので「縺れを結ぶ盃の」と歌詞にも入れ込まれる。

「五月雨や〜」


晋子(松尾芭蕉の門弟、江戸中期の俳人宝井其角の別号)の句「五月雨や傘につけたる小人形」とから始まり、「晋子が吟もまのあたり」まさに晋子の歌った句のような季節であると唄い、「己が換名を市中に」から伊三郎襲名について唄う。

「拙き業を身に重き〜」

と襲名の重責を綴るが「皐月の鏡〜」で、梛の葉を鏡の下に置いておくと曇りを払い、また諸々の不浄を取り去る、という言い伝えになぞらえ、心の曇りも拭えると励ます。

「今日の晴れ着〜」

からは「菖蒲浴衣の白襲ね」「表は縹紫に、裏むらさきの朱奪ふ」「五とこ紋」「脱いで着替」など着物に縁のある詞
「辻が花」「よしながき」「御所染」「千弥」「忍ぶ摺り」「小太夫鹿の子」「友禅」「おぼろ」など染織技法の詞をかけ言葉に、初夏と梅雨の候を唄う。

「青簾〜」

からは隅田川の風流を唄う。
「命と(思いを)腕に堀切の」男女の相思相愛の証に「命」と刺青を「ほる」ことと菖蒲の名所「堀切」を掛け、そのまま「花あやめ」へと繋げます。
「弾く三味線〜」は三味線の「糸」から「糸柳」、そして「縺れ」まで掛詞で繋げます。

「縺れを結ぶ〜」

から先は勝三郎と伊三郎の和解を示し、酒を酌み交わし、伊三郎襲名を祝い、芳村の家の繁栄を唄って幕となります。


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