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なぜ先生は忙しくなってしまったのか


最近、頻繁に教員の働き方についての記事を目にします。

この記事は最近のモノですが、「公教育が生きるか死ぬかの瀬戸際」という言葉に非常に切迫感を感じます。

■私がまだ新米教員だった頃の話


私が教員になった頃は、もっとのんびりしていました。

年度初めはゆっくり始まり、臨時時間割を2週間回して、本時間割が本格的に動くのはGW明け。
それまで午後は面談をしたり、オリエンテーションや部活紹介など。
クラスでのレクリエーションをする時間もありました。

職場のレクリエーションもありました。
先生同士、雑談もよくしていました。

若手も失敗を恐れず、のびのびとやってました。
ベテランの先生もおおらかに見守ってくれていたと思います。

■いつの間にかだんだんと忙しくなってしまった原因は・・・

それがいつのまにか、パソコンとにらめっこしながらの職場になっています・・・

やはり職場にPCが導入されたことが一つはあるでしょう。
情報処理速度が上がって、その分どんどん仕事がメールで来るようになりました。

総合的な学習の時間が始まりました。
業績評価も始まりました。
情報の時間も新設されました。
新学習指導要領対応の授業のための研修や研究事業も始まりました。
学校評価の制度も始まり、成果を見取るためのアンケートや報告書の作成もあちこちで求められるようになりました。
地域との連携を進めていくようになりました・・・
小学校では英語必修、プログラミング教育も導入されました。
そこへ持ってきての部活指導。長時間勤務。
社会の変化にともなって多様化する生徒実態・・・・
・・・・書いていくときりがありませんが、他にももっとあるんじゃないかと思います。

要するにカリキュラムのオーバーロード=過積載です。

■働き方改革さえも無効化する忙しさでできることは?

明らかに肥大化、膨張化してしまい、学校組織が身動きできないほどの仕事量を抱えて、動けないところから壊死しているような気がしてなりません。

そこへ働き方改革・・・
もはや何もできない状態なのに・・・ますますしんどくなるばかりです。

現役高校教諭 西村祐二さん「これは公教育が生きるか死ぬかの瀬戸際である、その歴史的分岐点であると」

上記記事より

愚痴にしかなりませんが、何ができることはないかと、自分の働き方を見つめ直しているところです。

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