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8回も転職してまた離陸したい欲が出てきた話。

大学では、ゆるく美術史を勉強していました。
でも、美術の道に進むことはなんとなくはばかられる。私なんかが…という気持ち90%、美術系の仕事あまりない→お給料が不安10%、で、アルバイトで貯めたお金でキューバ放浪を考えました。本気で。

普通に、学生に人気の広告代理店への就職活動もしていました。けど、某社の面接で、「最近感動したことは?」と聞かれ、村上春樹の小説について答えたとたん、それまで私の話を真剣に聞いていた面接官2人が半笑いで「はぁ…」という反応。「はぁ?」はこっちのセリフじゃ。
そこからはぶちぎれモードで面接終了。就職活動も終了しました。

キューバ放浪に心弾ませていたところ、ふいに大学のOBに止められました。同じく大学のOBで、日本でばりばり働くオーストラリア人に居酒屋で泣くまでお説教されました。(その方はその直後に母国に帰国して水泳のコーチになったそうです。。)
そして、先輩に紹介された、当時モバイルコンテンツで勢いのあった会社を受け、無事社会人になったのでした。

と、こんな社会人デビューだったので、仕事に対して自分軸は全くなし。
PCのスキルもない、ビジネスの知識もなし、なしなしなし…。
当時まだまだIT関連の会社はメジャーではなかったので、実家の母は、高校時代の私の同級生たちが有名企業に入ったことと比較し、皮肉ばかり。私は実家に寄り付かなくなりました。

そこから。

自分の軸がないので、業界の「波」に乗るように、転職を繰り返すことになります。20代のうちに3社を経験しました。
仕事が面白くないなら面白い仕事を自分で作れ、という話もありますが、そんな熱意はありませんでした。だってキューバに行きたかったのに。
働いて、お給料もらって、好きな服を買って、奨学金を返して。そのサイクルを保つために、自分の心を保つために、転職をしました。
今考えると、そんな小娘(ってほど若くない)をよくとってくれたなぁと歴代の会社のみなさんには頭が上がりません。
とはいえ、自称器用貧乏なので、そこそこちゃんと仕事はこなし、売上やら数字の面では成果を上げ続けていました。

30代に突入し、4社目で、気づくと大きな心の病気になりました。
けっこうどん底でした。
どうやって這い上がったかは、ここでは割愛します。(決して推奨できる方法ではないので)

30代後半、いつの間にか結婚して、出産を経験しました。

今度は、仕事の内容云々に加え、「働き方」という新しい命題が降ってきました。
コロナ禍前だったので、リモートワークという概念は少なく、ワーママというワード(「ワーパパ」って言葉はないのに)に苦しみながら、仕事の幅がいっきに狭くなったのを感じました。
自分が悪かったのか、会社が悪かったのか。わかりません。
そんなとき、非常時にはリモートでもいいから来ない?という稀有なお誘いをいただくことに。そして6社目の転職をしました。

40代目前。
さすがに私って何だろう、サラリーマンとして何モノなんだろう、ということを真剣に考えるようになりました。
もちろん、それまでも全く考えなかったわけではありませんでしたが、ようやく「これが好きかも」というものが見えてきました。

二人目を出産し、コロナ禍に突入。
環境がまためぐり、また迷いのシーズンに突入し、ホップステップで2社飛び越えました。8社目。

そうこうしているうちに、転職疲れを感じるようになりました。(今更!!!!)

焦りの中、3社目でとてもお世話になった、信頼できる元上司にお会いしました。
その方はいつも、穏やかに私の話を聞いてくださいます。
そして、思いがけず、戻ってきたらどうですか?という話をしてくださいました。
そんな甘い言葉を期待していたわけではなかったので、思わずジーンと胸に響きました。
出戻りなんて恥ずかしいことだと思っていた私ですが、もう一度お世話になって、しっかり貢献しようという純粋にポジティブな気持ちになりました。これで9社目です。重複カウント有りで。

8度目の転職をしたこと、元いた会社に戻ったことを母に伝えました。
てっきり、ふーーん、と流されると思っていたら、「その歳でそんなに何度も転職ができるって、それだけあんたって何かあるのね」と母は言いました。
転職回数が多いことは、「何か問題がある人」「長く続けれれない人」と、世間一般的にはよい評価ではないと思います。
でも、昭和の大手企業信仰だった母が、ようやく私を認めてくれました。
ようやく、肩の荷が下りた心地がしました。
今でも、そのときのことを思い出すと、涙が出ます。

そして干支一回りしての出戻り入社。
当然知らない人ばかり、若者ばかりでしたが、懐かしい雰囲気はありました。
私なりに精を出し、私なりにどう貢献できるかを実験するような日々でした。
再入社して2年たったころ、ふと、人生の岐路を考えるようになりました。このままじゃダメだし、と言って今さら「can」を増やすのも違和感が。そこからコーチングを学び始めるのですが、そのあたりの話はこちらにて。

コーチングでパカッとなった私の脳は、また離陸したがっていることに気づいてしまいました。日曜朝の6時にパカッときて、その日の夕方に夫に宣言して、次の日に上司に辞めますプレゼンをしました。
私にとって、退職・転職は「会社を辞めたい」ではなく「離陸したい」という欲求なんだということに、ようやく気付きました。
もちろん、離陸された側は迷惑な話かもですが、陸地でエンストして迷惑かけるよりいいかな!





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