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day05 意識を変えていくレッスン。

髪を切った。
恐らく人生初、かもしれないくらいのベリーショート。しかも赤い髪で(まぁそれは普段からだけれど)

どこ見てんだ、というツッコミはさて置き。
(そしてどこかヒロシっぽさを感じつつ)

1年前に髪を短めに切ってから、美容室に行くたび短くなっていく今日この頃。いつかは坊主頭にしたいものだ(本気で)。

一応お伝えしておくけれど、性別は女性である。しかし40代半ばを過ぎてからどうやらイケメン方向に向かっている模様。
可愛らしい女子を目指していた頃が、もはや懐かしい。別に今、男子を目指している訳でもないけれど。


さて、わたしにはまだまだ『奪われる』とか『減ってしまう』とかいう意識がこびり付いているようだ。

デザイナーを育てたい、と思うそのすぐ横で『これを教えてしまったら、わたしの仕事が減ってしまうのでは?』という思いが頭をかすめたのだ。

表層部分では理解している。
わたしはデザイナーを育てたいし、知っている知識や、持っている技術を継承したい。それらは決して奪われたり減ったりするものではなく、業界全体にとって喜ばしいことなのだ、と。


そこで、さらなる深掘りをしてみた。
見えてきた本心は、わたしを超えないで欲しい、だった。

これまで20年以上積み重ねてきた知識や経験を継承することで、いとも簡単にわたしを超えられるのが悔しいと、思っているらしい。

らしい、って自分の本心だけれど。
ちょっと他人事みたいに見えている。


すごい自分でいたいと思うこと。
やっぱりいくら頑張ってもなかなか超えられないものですね、って存在でいたいこと。
そんなすごい人に教われるなんて贅沢、と思われたいこと。


いや、書いててクソださいなと思っている。でもこれが今の本心なのだから致し方あるまい。


結論から述べよう。
すごい自分を、自分が認めれば終了。
たったそれだけのことを拗らせている。

これまでのキャリア、学び、自分なりに考えてきた哲学的な部分、人生経験からなるデザイン以外の要素。
それらすべてが自分だけのすごい部分だ。

そしてこれも表層部分で理解していることだけれど、世の中で誰かがすごければ、他の人はすごくない、という構図は存在しない。
というより、すごいの定義を間違えている。


すごい、って。別に、賞をもらったり、レアな資格を持っていたり、フォロワーが多かったり、なんていうことじゃなくて。
あなたにしかできないオリジナルがある、ということがすごいのだ。

そしてそれは、誰かの完コピでもない限り、大概の人は自然と、そのオリジナルを産み出しているのだ。自分なりの経験と組み合わせてね。


誰かに、自分の技術を教え伝えていくとき。
なんとなく、遺言を書くような気持ちでおこなうのが良さそうな気がしている。

これまでのキャリアに感謝しながら、余すことなく大切な手持ちのカードを1枚ずつ渡していく。そして、遠慮なくわたしを超えていけ、と背中を押すのだ。


そういえば、わたしの中の設定寿命は50歳。あと4年で遺言を完成させようではないか。

どうせ死にゆく命なら、まぁ日々楽しく暮らせるくらいの生活費があればいいし、せっかくなら死ぬ前に、ちょっと行きたいところなんかに旅に出るのも悪くない。

あと、それならもうちょっとミニマルに暮らしたいなぁとも思う。


お、なるほど。
50歳までの残りの人生楽しむ設計、遺言書付きプランだ。
これはまた明日にでも書いてみよう。

こんなこと思いつくわたしは、やっぱりオリジナルですごい存在なのだ、多分。

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