day17 器用貧乏をやめる方法。
今日は引き籠もりの1日。行くはずだった予定を前日にキャンセルし(本当にごめんなさーい!)、まるっと『はぐみ』の編集制作に没頭することにした。
こんな日はラフな作業スタイル。すっぴん。人に会ってはならぬ、という決め込み方だ。
今日はインタビュー記事の校閲と画像挿入、そして表紙の画像編集。
使用画像に不要な物が写り込み(それを撮ったのも自分なのだが)、それを削除する加工作業をした。
顔のすぐ後ろの、壁に掛かっていた額縁を外す作業。我ながら、ちょっと焦って撮影したなと反省する。額縁を外してもらえばよかったのだが、雪景色で暗くなるのも早く、急いで撮影したのだった。
それにしてもわたしって、なんでもできちゃうタイプなんだなぁと笑う。デザイン、編集、執筆、校閲、写真撮影から写真の加工まで。天才マルチクリエイターだな。器用貧乏とは呼ばせない。
しかしながら器用貧乏という言葉は実に言い得て妙だと思う。実際にそうならざるを得ないからだ。
なんでも器用にこなせる人は、自分でアレコレ自己完結してしまいがちだ。
10個あるタスクをひとりでやってのけられる人は、毎日ひたすら、そのタスクに取り組み続ける。例えば1個あたり1日掛かるなら10日間掛かる。
これが仮に不器用な人で、タスクを1個だけやれるとしたら。残りの9個は他人に頼ることができる。もし、残りの9個をそれぞれ9人に依頼したら、所要時間は1日あれば終わることになる。
そして、器用貧乏は考え方が既に貧乏だ。
他人に依頼したら、お金が掛かるから不利益だと思ってしまうのだ。
わたしにもその傾向は多分にあるけれど。
他人に依頼することで、確かに外注費は発生するだろう。でもそれ以上に得られるものは大きいはずだ。
まずは、時間。先述の例で言えば、9人に依頼することで9日間の余裕が生まれる。その余裕で、もっとやりたいことに専念することができる。
そして、人脈。人を信頼し、お金を払うということは、人脈を買っているとも言える。そして予想以上に良い仕事をしてもらえたら、またその人にお願いしたくなるし、もっとお支払いしたいと思えてくる。
さらに、ネットワーク。9人に依頼したとき、その人たちが新たに繋がり合うことも起こりうる。その先の知り合い同士まで繋がるかもしれない。信頼できる人の輪が大きくなるのだ。
でもいちばん重要なのは、届ける声の大きさが変わることだ。ひとりでは決して辿り着けないところまで、その声を届けてくれる人たちとなってくれる。それは単に10倍なんてものじゃなく。
単純な言い方をするなら、他人を自分の世界へと巻き込むのだ。一緒に面白がってくれる人たち、尊敬できる専門家たち、世界観を共有してくれる人たちを。
はぐみを制作しながら、わたしは専門家へのアプローチができなかったことに気づいた。
編集のプロや、わたしが尊敬できる敏腕デザイナーへの依頼ができていたら、もう少し楽にやれていた、かもしれない。
なんてことを思いつつ。でもすべての作業が大好きで、妙なこだわりとか持っていて、それを手放せなかったのがわたしで。そんな、余裕なくアタフタしている自分もまた、大好きで。結局やっぱり器用貧乏っていうオチ。
思わずひれ伏すほどに尊敬しちゃうデザイナーさんとお友達になりたい。泣けるほど美しい写真を撮る人に仕事を依頼したいし、プロフィール写真も撮ってもらいたい。
校正紙を真っ赤に染めるほどにキレッキレな編集者さんに会いたい。
そうしたらまた、はぐみを制作したいなぁと思う。
器用富豪も、勿論ある。
今度はそちらを目指していくのだ。