息子の音楽会で思い出した、私にとって忘れられない合唱曲
息子の小学校の音楽会に行ってきました。息子がいる支援学級の発表だけでなく、どの学年も観ていて楽しかった!
1年生はまだ幼さが残っていて、元気いっぱい声を張り上げて歌う姿がかわいい。3年生、4年生からパートに分かれた合唱になり、じっくり聴かせる曲に変わってきます。6年生は身体も大きくて(明らかに私より背が高い子がいっぱい)、合唱も合奏も、さすが最高学年とうなずける内容でした。
子どもたちの歌を聴きながら、ふと、中学3年生のときの合唱コンクールのことを思い出しました。
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私が通っていた中学では、毎年、校内で合唱コンクールを開催していました。学年ごとに決められた課題曲と、各クラスで決めた自由曲の2曲を歌います。そして、課題曲、自由曲それぞれで、選ばれたクラスが表彰されていたような…(ちょっと記憶が曖昧)
中3のときの担任は、担当科目が美術で、生徒を下の名前で呼ぶ先生でした。生徒からは、「タカハシ先生」を略して、「タカセン」と呼ばれていました。
そのタカセンが、合唱コンクールの自由曲を決めようというときに、
「学級の歌を作って、それを自由曲で歌わないか」
と提案したのです。
「えーっ」と面倒くさそうな反応をする生徒もいましたが、私も含めて半分以上は、「面白そう!」という意見でした。こうして学級歌をつくることになったのです。
まずは、生徒一人ひとりが、自分で考えた詞を提出。ホームルームで、どの詞がよいかを話し合います。選ばれたのはなんと、私の詞でした。
詞が選ばれたことで、作曲もすることに!ただ、それを拒否せずに受け入れたのには、理由がありました。
当時習っていたピアノの先生の専攻が作曲だったこともあり、楽譜を見て弾くだけでなく、自分で曲を作る機会があったからです。
この日からピアノのレッスンが、作曲のレッスンに変わりました。詞に合わせてメロディーを考え、実際に歌ってみて、歌いやすいかを確認。試行錯誤しながら、メインのメロディーが完成しました。
次に、ハモリのパートのメロディーも考えます。これは、ハモリの美しさも考慮しないといけないので難しくて、かなり先生に手伝ってもらいました。こうして合唱曲が完成しました。
すると今度は、「伴奏もやってほしい」と担任の先生からお願いされてしまったのです。
ここまできたら、やるしかない!
ピアノの先生に伴奏を一緒に考えてもらいました。私にとっては、詞に合わせてメロディーを考えるより、伴奏を考える方が断然難しかったです。
そして迎えた合唱コンクール当日。自由曲で学級の歌を歌ったのは、私たちのクラスだけでした。
歌は3番まであるんですが、2番は先生のことを歌っていて、ちょっと外見をイジった歌詞が入っていたため、会場の笑いを誘っていました(今だったら怒られる)
さて、私たちの学級歌は、賞をとったでしょうか?
それが、なぜだか、まったく記憶にありません。記憶にないってことは賞をとらなかったのか、でも特別賞とか何かもらったような気もして。
でも、賞をとったかどうかなんて、どうでもいいんです。私にとってこの歌は、人生で唯一の作詞作曲した歌で、しかも、大勢の人に聴いてもらえたから。それだけで満足です。
中学の同級生とは、すっかり音信不通になってしまったけど、誰か一人でも、この歌のことを覚えていてくれたら嬉しいな。