1000万円の借金・未払いを背負った僕のジェットコースターのような2年間。【#1】
SNSでの発信を辞めてしまってから約1年半。
最後にこの投稿をしてからnoteの投稿は止まり、その後Twitterも止まり、自ら立ち上げたサービスの運営すらままならない状態になってしまいました。
以前から僕のことを知り、支えてくださっていた皆さん、しばらくの間発信も連絡もできずに申し訳ありません。
noteを読み、TwitterでDMをしてくださっている皆さん、メッセージをお返しすることもできず申し訳ありません。
これから1人ずつしっかりお返しします。
初めましての皆さん。
僕は、『好きで生きれる経済圏をつくる』という夢を掲げ、大学卒業後、就職せずに起業をしました。
2年前にクラウドファンディングで120万円ほどの資金を集めて、個々人がやりたいことを実現するための共感型プロジェクトチームアップサービス『emole』を立ち上げました。
しかしその後、約1000万円の借金・未払いを抱え、チームは解散し、サービスの運営も止めてしまいました。
ここでは、そんな僕がこの2年間でどのように借金・未払い地獄を乗り越え、以前と変わらないビジョンを持ちながら、より強固な夢と仲間を手にしたのかをいくつかの投稿に分けてお伝えしていきたいと思います。
最後にこれから僕が目指す先、これからのemoleについて、お伝えできたらと思います。
クラウドファンディングでご支援をしていただいた方々へ、まだお返しできていない分をどうするのかについてもお伝えします。
2年前に応援をしてくださった方々へ、これまでの説明をしっかりとした上で今取り組んでいる挑戦について発信していきたいと思いこの投稿をすることに決めました。
なかなか稀有な体験なので、参考にできる部分は少ないかもしれないですが、反面教師的な意味で今新しい挑戦を始めようとしてる方々の参考に、少しでもなれば幸いです。
好きで生きれる世界を目指して法人設立!クラウドファンディングで集まった資金と仲間たち
僕のライフミッションは、好きで生きれる世界をつくることです。
好きなことに仲間と挑戦する瞬間。
それは人生最高の瞬間だ。
辛いことを共に乗り越え、
喜びを分かち合う中で、
人の感情は高ぶり感動を生み出す。
そんな中で、人は心の底から
信頼できる仲間をつくる。
個々で見るとバラバラな人の心も
1つの目標に向かい共鳴すれば、
そこには美しい世界が広がる。
ぼくらは、そんな世界をつくるために
1人1人の心のピースを繋ぎ合わせ、
共感の連鎖を生み続ける
そんな想いを込めて、僕は、emole(“emotion“と”puzzle”の造語)という会社を2018年11月15日に設立しました。
この時僕は、ビジョンを達成する1つの方法として、0→1の挑戦をする仲間を集めるプロジェクトチームマッチングサービス”emole”を開発していました。
当時は、マネタイズのことも考えずとにかくビジョンを実現することに必死で本当に少ないお金でサービスを開発していました。
たった30万円の貯金だけで受託もやめて、すべてのリソースをサービス開発に注ぎ込みました。
そんな活動をSNSで発信していると、少しずつ共感をしてくれる人が集まってきて、気づくと応援してくれる方々やチームのメンバーが増えていました。
このままでは資金がすぐに底を尽きてしまうと思い、最初は乗り気ではなかったクラウドファンディングで活動資金を集めることにしました。
すると、応援してくださる方々はそれまで以上に増え、¥1,127,500の支援をしていただくことができました。
<当時の様子>
*コミュニティイベント:emole BAR
*SHOWROOMの前田さんにemoleの事業戦略相談
これはもう大きな一歩を踏み出すしかないと思った僕は、クラウドファンディングでお金が集まったことを両親に説明し、資金を借りることにしました。
こうして、資本金300万円を元手に始まったemoleという会社は、この直後、早々に倒産の危機を迎えます。
*ここまでの話は、これまでのnoteにたくさん記載しています。
詐欺に遭い200万円を喪失。創業直後にキャッシュアウトで借金&未払い発生
2018年12月、会社設立から1ヶ月後、僕は早々に重大な失態を2つ犯してしまいます。
emoleの立ち上げを手伝ってくれていた仲間に、安易にお金を貸してしまったのです。その額100万円。
さらに、その後、資金調達の話が決まったから100万円の成果報酬がほしいと言われ、払ってしまいました。
今振り返れば相当アホな話ですが、僕は信頼していた仲間に対して安易にお金を渡してしまいました。それも会社にあった資金の2/3の金額を、、、
貸したお金は、すぐに返すと言われていましたし、調達したお金も2ヶ月後には入ると言われていました。
それに、この後、政策金融公庫で借入を行う予定もあったため、そこまで資金のことは心配をしていませんでした。
しかし、お金を貸してから1ヶ月後、少しずつ様子がおかしくなっていきます。
お金を貸した相手とは毎日連絡を取っていましたし、頻繁に会ってもいたのですが、返済の催促を始めたころからだんだん連絡が取れなくなっていきました。
それでも鈍感だった僕は、そのうち返してくれるだろうと思い、強く催促をすることはありませんでした。
しかし、どれだけ待っても調達した資金が振り込まれることも、貸したお金が返ってくることもありませんでした。
このままでは、あっという間に資金が尽きてしまう。
宛にしていた政策金融公庫からの借入も手元の資金が少なすぎて、申請をすることすら難しい状況に陥っていました。
既に稼働してくれている仲間に支払う資金もなくってしまいそうだったため、さすがにまずいと思い、お金を貸した相手に何度も連絡をするようになりました。
しかし、その度になんらかの言い訳をされてあと少し待ってほしいと言われるだけでした。
そこからだんだん連絡も返ってこなくなり、これは詐欺だったのかもしれないと疑うようになりました。
後から調べてわかったことですが、実は彼は以前にも同じような詐欺まがいなことをしていたのです。
たまたまtwitterで同じようなことを言っている人を見つけて連絡をしたら、同一人物であることがわかりました。
このままではまずいと思い、数人の弁護士に相談をしましたが、皆口を揃えてお金を取り戻すのは難しいと言いました。
その理由は簡単で、お金を貸した際に、借用書も結んでいたなかったし、資金調達の成果報酬に関する契約書も結んでいなかったからです。
それでも、メッセージ上の文言や振り込み履歴などを証拠に訴訟を起こせば勝てないこともないという弁護士もいましたが、仮に勝訴したとして、相手が銀行にお金を入れていなければ差し押さえても意味がないのです。
ちなみに、仮に裁判を起こすとなると半年ほどの中期戦になります。
しかも、勝訴してからも差し押さえの手続きには時間がかかる上に、その間に銀行口座からお金を引き出して中身を空にすることも可能です。
現金で持っている相手のお金を差し押さえる術はありません。
仮差押と言って、裁判を起こす前に差押えをすることも可能ですが、これには、通常の訴訟に加えて更にデポジットのような費用がかかります。しかも負ければそのお金は返って来ません。
また、訴訟を起こすだけでも弁護士さんに支払う費用は発生します。
そこまでの費用と時間をかけるほど大きな金額でもなく、さらに、その時点で僕には費用を支払うお金が会社には残っていませんでした。
そのため、この状況でできる最大限のこととして、内容証明を送りました。
内容証明は、これから裁判を起こしますよ、という通知で、実際に裁判を起こさない場合でも送ることができます。最後の脅しのようなものです。
しかし、何度も同じような経験があるのか全くその手は通用しませんでした。
結局、その相手はその後連絡を取ることすらできなくなりました。
スタート直後に失う資金と仲間
こうして僕はまず会社の活動資金を失いました。
貸したお金の返済も、調達する予定だった資金も、政策金融公庫での借入も手にすることができず、もちろん作っていたサービスでのマネタイズもまだ全然できる状況ではありませんでした。
そして、次に失ったのは仲間です。
最初は未払いの状態になってしまっても、どうにかしてお金を取り戻せるとみんなが信じてくれていました。しかし、未払いの状態が続き、メンバーの生活にも影響が出てしまいそうな状況になっていました。
もう、サービスを続けて行ける状況にはありませんでした。
この状況を両親に説明することもできず、僕はとりあえず仲間の生活だけは担保しようと、キュッシングをしました。
キャッシングは、政策金融公庫や銀行などからの借入とは違い、金利が以上なほどに高いです(年利15%以上)。借入をすること自体は悪いことではありません。事業拡大のための前向きな借入だってあります。しかしここで行ったのは、とにかくその場を凌ぐためのネガティブな借金でした。借金地獄に陥るリスクだって十分にりました。
しかしそれでも、すべての未払いをなくすことはできませんでした。
キャッシングにも限度額が存在します。自分の年収の1/3ほどしか借りることができないシステムになっています。
この時の借金は、110万円ほどでした。
恐怖や不安よりも大きかった悲しみと孤独感。そして鬱状態に。
この時、僕の心の中はぐちゃぐちゃでした。
もう、自分でも何を思っているのかもわからないぐらいに。
生活をするお金がないことはもちろん不安でした。
高金利なキャッシングをしてしまい返せるかどうか、借金地獄に陥ってしまわないかという不安ももちろんありました。
しかし、それ以上に、応援してお金を貸してくれた両親に対しての申し訳なさの方が強かった。
クラウドファンディングで応援してくれた、幼馴染の友達、大学の仲間、起業家仲間、そしてSNSで応援をしてくれたたくさんの優しい方々への申し訳なさ。
せっかくビジョンに共感して、少ない賃金で協力していた仲間たちへの申し訳なさ。
綺麗事ばかり並べて、何一つ実現できず、たくさんの人の気持ちを無駄にしてしまった自分の不甲斐なさ。
そして何より辛かったのは、ひたすら孤独だったことです。
一緒にモノをつくる仲間を失い、信じ、頼ることのできる相手が誰なのかもわからない。
1番熱量を持って、同じ視座を持ち、ビジョンに共感をしてくれていると思っていた仲間が詐欺師だったという事実。
最初に覚えた感情は怒りに近いものでしたが、その奥底にある感情は悲しみと孤独でした。
その時は、人を信じることが怖くなっていました。
会うことも、話すことも億劫になっていました。
失意のどん底にいた僕は、もはや鬱になりかけており、ベッドから起き上がるのも辛く、人に会うだけで息をするのが苦しい。そんな状況に追いやられていました。
それでも折れなかった理由。
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