『退院のメドすら立たない…こんなことになるなんて。病院のベッドの上で気付いたこと。』
たった1日…
腹痛を我慢しただけで
翌日から歩くこともままならなくなった私。
ついた病名は『憩室炎』。
激痛とともに発熱も伴い、
食べられないのは勿論のこと、
水を飲むことすら許されない状態が続いた。
数日で退院できる。
そんな期待も砕かれ…
丸3日。
気がつけば、
絶飲絶食が続いた。
不思議なもので、
腸が腫れていると
お腹が空かないことが分かった。
3日も絶食しているのに、
空腹感もなければ、食べたい、とも思わない。
しかし、
『食べる』ということの『喜び』を
ここまで意識したことはなかった。
朝、昼、晩。
同じ部屋の患者さんには
食事の時間がやって来る。
食べ物の匂いがする。
隣のベッドの人が美味しそうに食べている。
しかし、
それでも空腹感はなかった。
『○○さん、どうぞ。
今日はバナナも付いていますよー。』
とは言え、
『食べる喜び』がないことは、
流石に、3日間、絶飲絶食の私にはこたえた。
食べられない。
それだけのことで…
人生全体が、
こんなにも寂しくなるものか、と。
このあと美味しいケーキを食べよう!
今夜は肉汁したたるお肉を食べよう!
そんな楽しみがあると
仕事を一生懸命がんばることが出来る。
数時間の生きる目標になる。
ところが!
病院で何もすることがなく、
ただただ痛みに耐える私には
何の生きる希望も楽しみもないのだー。
お腹は空かないし、空腹も感じない。
でも、脳みそは「食べる」ことを欲している。
食べる「楽しみ」を欲しているのだ。
しかし、悲しいかな
そんなご褒美は私には与えられない。
退院の日が決まらない不安。
私はここに何日いるのか?
いなくてはならないのか?
その後の予定もある。
持って来た化粧水にも限界がある。
大体、私はあと何日、絶飲絶食なのか?
いつか普通に食べられるようになるのか?
既に3日間も絶飲絶食なのに…
いつまで食べる喜びを奪われ続けなくてはならないのか。
不安で不安でたまらなくなった。
つづく。