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栗拾い


先日栗拾いに行きました。
今の時期はこちらドイツの私たちの住むエリアの秋休み。秋休みは毎年恒例の栗拾いの季節です。
ドイツに来て最初の数年は、栗の木を見つけ出すことができませんでした。5年目にして、近くに小学校の庭にあるのを見つけて食べたら、これがとっても甘い。
小粒の甘栗発見です。
それから毎年10月の楽しみになっていました。
大好きな焼き栗も、大好きな栗ご飯も食べられる!やったー!

一昨年のこの時期からリウマチで私の体調は悪化し始めていました。
そう、2022年のこの栗の時期は、忘れもしない異変がスタートした時でした。栗を拾ったものの、調理ができない。結局カビが生えてコンポストにする羽目になりました。左手に力が入らず栗を握れない、右手は包丁を握ると痛くて皮剥きができない!?そして、キッチンに長く立てる足が無い。なんか、あれ?ええ!?身体が変なんだけれど?と感じていたけれど、身体の声を全部無視して無理してました。そして、痛みを堪えてなんとか家事を回しているのに、痛みを理解できない周りの家族やその他の人に苛立ち、怒っている自分を隠して過ごしていました。
今思えばなんてアンヘルシーな。
その頃から、車のハンドルが握れないなど不便が出ていたのに、オートマ車だったので、手首を添えて、ハンドルを回したりすればなんとかなっていたので、子供の送迎、よそのうちの子の送迎まで、断れずずっと自分の身体を騙し騙しやってきた。

2023年の10月の栗の時期は、全身の関節という関節が痛み何もできない、体にこんなに関節があるんだって驚く。靴をはくが、足が腫れて痛い、足を押したくても握力はゼロ、全てが痛いくて力が入らない。そして膝が痛くて歩けない。歩く体はロボットみたいだった。それでも、この時期栗拾いには行きたくて、泣いた。せめて好きな栗を拾って栗ご飯食べたら元気が湧くのでは無いか?そう思ったんです。
そしたら、夫が車で木の近くまで連れて行ってくれた。意地でも大好きな栗を食べてやる、そう思って木まで5メートル歩くのが、まるで1キロくらいあるかのように遠い。そして途中痛みで歩けず怒りと悔しさで泣きまくった。そして怒り散らしました。
そしたら夫がおんぶするから、といってくれました。
それなのに、、、悔しいし、こんな体になった自分が情けなくて、おんぶは断りました。結局、歩くのは地獄の痛み、かと言って木の付近まで行ったところで、拾うという行動はできず、にっちもさっちも行かない。夫が身体を抱えて車に乗せてくれ帰ってくるだけでした。料理なんてできないわけだから、栗を食べたか。。。それも覚えていません。
今思えば本当に素直では無い自分がいました。

周囲の優しさを受け取ることができない。身体が不自由な自分を認められない。
我は強い、強情もの。

あああ。

2024年、秋。
今年は、
元気に栗拾いに来ています。
痛みも、不安もなく、森に来て栗拾い。歩くことに不安はもうない。

駐車場に車を停めて、そこから目的地までの距離を見た瞬間、たとえそれが2メートルでも、本当に胸が苦しくなって、そこまで亀の歩みでどれぐらいかかる? って胸がギューっとしていた私が、今は怖くない。何にも怖くない。膝も足首も足全体も腫れは見事にひいた。まだ痛いはある、けれどちょっと不自由だけれど、やりたいことはできる。要するに健康なんです。

栗、、、今年はなんと8キロ拾った。

焼き栗もして、栗ご飯も沢山作りました。

これからも、栗の時期が来たら、あの栗を拾えなかった時の2年間の私を思い出して、振り返るんだと思う。
そして、いつかこんなことがあった事も忘れて行くのだと思う。
今は、だいぶ素直になって、助けても言えるようになったと思う。もっと素直に、自分に優しくなったら、苦しかった事も、全部全部忘れて行くのではないかな。

今日はリウマチが痛み、膝、手首と足首が疼いて目が覚めたけれど、こういう日もあれば、痛みのない日もあるし、どちらも自分だと感じて過ごします。

「今日痛みが消えて、それを喜び、明日痛みが出てもそれを喜ぶ」と言ったインドで出会ったヨガの先生の言葉を思い出して。

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