「見守る」のその先へ
今日は、長男と一緒にパスポートの申請に行ってきました。
学校帰りに待ち合わせをし、穏やかに話しながら過ごす時間は、とてもうれしくて心にじーんと沁みました。
長男は、そんな母の心の内には気づかなかったことでしょうが・・・
ここに至るまでは、色々なことがありました。
特に苦しかったのは、コロナ休校の頃からかな・・・
無気力になり、「別に」「どうでもいい」「めんどくさい」が口癖。
挙句の果てには、「高校は行かない」「やりたいことはない」
でも、そのおかげで、親としての対応の仕方を振り返る機会を得ました。
そして、長男の良いところではなく、できていないところにばかり目を向けて、毎日せかすようなことばかり言っていたこと、「こうしようよ」と前向きそうな言葉に包んで長男を否定していたこと、親の理想を押し付けていたこと・・・本当にひどい親だったと冷汗が出る思いです・・・
でも、子供って本当にすごいなあと思うのは、親が接し方を変えると、何も言わなくても許してくれるんですよね・・・
自然にいろいろなことを話してくれるようになり、勝手に「反抗期だから仕方ない」という思い込みも溶かしてくれるんです。
もちろん、それは、親の言うことを聞く、という意味ではありません。
何かを押し付けようとすると、敏感にそれを察し、頑なな態度になりますし、暴言も出ます・・・
でも、一人の対等な人格として接すると、いろいろと自分なりに考えているのが分かります。
思えば、自分が過干渉であることに気付き、「見守る」子育てをしようと思った時・・・
「見守る」が分からなくて、不安でした。
「これは言ったら過干渉なの?」「見守るってそのままでいいの?放任なのでは」「本当に何も言わなくていいの?」
考えすぎて、話しかける言葉がなにも浮かんでこなかったり、ぶっきらぼうに必要なことだけ訊いてみたり・・・
今から思えば、わけのわからない対応をしていました。
「過干渉をやめて、信じて見守ろう」
分かるのですが、具体的な行動がないから、どうふるまえばいいのかわからない・・・そんな手探りの日々を過ごしてきました。
過干渉をやめたいけれど、具体的にどうしたらよいかわからない・・・
私がしてきたことを、明日は書いてみようと思います。