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漆器を用いて。
5年前に父が亡くなり、その翌年に
母が介護施設に入居して、
実家が空家になっている。
この先、母が戻ることはないものの、
両親が苦労をして建てた家だから、
母が生きている間は、そのままにしてあるのだった。
空家になったあと、不要なものは片付けようと、
実家に足を運んだ。
物が多いのは知っていたが、いざ手をつけると、
あらためてため息が出た。
押し入れを開ければ、旅館でもないのに、
なんでこんなに敷布団掛け布団があるのか。
台所の戸棚を開けば、料理屋でもないのに、
なんでこんなに鍋釜、食器があるのか。
父が亡くなったあと、父の洋服は兄が
もらっていったものの、
着道楽だった母の着物が、タンスふたつ分、
ごっそり残っている。
一階の和室みっつに、それぞれ重たい座卓があって、
台所には、大きな丸いテーブルがある。
両親のおおきな洋服ダンスが、一階と、
二階の和室と納戸にあわせて九個あり、
とても一人では処分しきれない。
あとは、のちのち業者さんにお願いすることと
あきらめたのだった。
台所を片付けていたときに、食器棚の上の戸を
開けてみたら、いくつもの箱が重なっていた。
降ろして中を確かめたら、全部、会津塗り、木曽塗りの
漆器だった。しかもどれも紙に包まれたままで、
使った形跡がない。
おそらく来客用に買ったと見当がつくものの、
上等の器で料理をふるまうようなお客は
来たためしがない。
せいぜい近所のおばちゃんが、
昼間にお茶を飲みに来るくらいのものだった。
日の目を見ることなく、食器棚の中で、
ちんやりとしていたのだった。
さすがに捨てるわけにはいかず、とりあえず、
自宅に持ち帰ってきた。
それから3年、そのままにしていたものの、
使わないのももったいないと、
見るたびに気になっていた。
先日、意を決して、自宅でそれまで使っていた器を
ほとんど処分して、使うこととしたのだった。
とはいっても、男やもめの身では、
とても全部は使いきれない。
思案して、
こういう器にふさわしい料理を出してくれる、
馴染みの料理屋のご主人に、もらって
いただくこととした。
それにしても、自宅の晩酌の肴といえば、
豆腐に油揚げにおからくらいなものだった。
質素すぎて、塗りの器に申しわけのないことだった。
木曾漆器小脇に抱え薄暑かな。